夏月被酒(夏月に酒を被る)(「酉陽雑俎」)
暑くなってまいりましたね。

夏も近づく八十八夜・・・までもう少しだ。
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暑くなってきたら気をつけなければなりませんぞ。
永泰初、有王生者住在揚州孝感寺北。夏月被酒。
永泰の初め、王生なる者有りて、住みて揚州・孝感寺の北に在り。夏月酒を被る。
唐の永泰年間(765~766)の初めごろ(765年しかあり得ません)、王という人がいて、揚州の孝感寺の北に住んでいた。彼が、夏のある晩、お酒を飲んで酔っ払った。
「被酒」、酒を被る、と訓じてみましたが、「酔っぱらう」という意味です。漢の高祖・劉邦が若いころ、秦の始皇帝が驪山に墓を作るための労働者(囚人)を引率して行ったが、途中で何人か逃げてしまった。これでは到着するころには一人もいなくなってしまい、引率者の責任とされるだろう。
ある晩、劉邦は労働者たちの縛めを解いて、言った、
公等皆去。吾亦従此逝矣。
公ら皆去れ。吾もまたこれより逝かん。
「おまえら、どこかに逃げてしまえ。おれも、ここからどこかに逃げる」
すると、
徒中壮士願従者十余人。
徒中の壮士の従うを願う者、十余人なり。
労働者たちの中でも元気のあるやつら十数人が、劉邦についていきたいと願った。
「勝手にしろ」
高祖被酒。
高祖、酒を被る。
高祖は、酒を飲んで酔っ払ってしまった。(以下略)
という司馬遷「史記」高祖本紀に出て来る由緒正しいコトバです。
―――さて、揚州の王生は、酔っぱらって前後不覚となり、
手垂于床。
手、床に垂れたり。
手がだらんと、(ベッド兼長椅子である榻から)床に垂れてしまった。
これを見て、
其妻恐風射、将挙之。
その妻、風射を恐れ、これを挙げんとす。
「風射」(ふうしゃ)とはどういうものか、これだけでは想像がつきません。ここではとりあえず「風邪」(ふうじゃ)の仮借だと思っておきましょう。
その妻は、冷たい風の影響を受けてカゼを引いてしまうのではないかと心配し、手を挙げさせよう、とした。
ところがその時、
忽有巨手出于床前、牽王臂墜床。
忽ち巨手の床前に出づる有りて、王の臂を牽きて床に墜とす。
突然、巨大な手が床から飛び出して来て、王の腕をつかみ、引っ張って王を(ベッドから)床に落とした。
「きゃーーーー!!!!」
と絹をも引き裂く妻の叫びに、下男下女みんな集まってきた。
その目の前で、
身漸入地。
身ようやくに地に入る。
王のからだはだんだんと地面に入り込みはじめたのだ。
「みんな、手を貸して!」
其妻与奴婢共曳之不禁、地如裂状、初余衣帯、頃亦不見。
その妻、奴婢とともにこれを曳くも禁ずるをえず、地は裂状の如く、初めは衣帯を余すも、頃(しばら)くするにまた見えずなりぬ。
妻と下男下女たちは王の身体を引っ張ったが、止めることができず、王は地面に入り込んでしまった。地面にはしばらく割れ目のようなものが残り、そこから王の着物の帯だけが出ていたが、しばらくするとそれも引き込まれてしまった。
其家并力掘之、深二丈許、得枯骸一具。
その家、并力してこれを掘るに、深さ二丈ばかりなるに、枯骸一具を得たり。
家人たちは力を合わせてその場を掘ってみたが、数メートル掘り進んだところで、古い人骨が一人分、出てきた。
しかしながら、その人骨は、
已如数百年者。竟不知何怪。
すでに数百年のものの如し。ついに何の怪なるかを知らず。
もう何百年も前のものと思われた。結局、王の身体がどこに行ったかは全くわからなかった。そして、一体どういう怪事件なのか、解き明かす者も誰もいなかった。
そろそろこれが出る季節になってまいったのでございます・・・。
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唐・段成式「酉陽雑俎」巻十三より。めんどくさいことしたくないし、そろそろ、わしもだんだんと地面に入っていくか・・・。
あれ? 今日は訪問してくれた人が普段の倍ぐらいになってます。そうか、休みの間に全勝さんが「大仏」見物の宣伝をしてくれたからですね。