4月3日 考証なんて小せえ、小せえぜ

春色未窮(春色いまだ窮めず)(「浪迹叢談」)

春も終わりに近づいてまいりました。サクラも散り、もっと濃い色の花が盛んになってまいります。

夏も近づき、「あずきあらいましょか、ひと取って食おか」の哀しい歌声も聞こえ始める。

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明の英宗(在位:正統(1435~49)、天順(1457~64))の時、

試天下画師于京中。以万緑枝頭紅一点、動人春色不須多為題。

天下の画師を京中に試む。

万緑枝頭 紅一点、

人を動かすに春色は多きを須(もち)いず。

を以て、題と為す。

天下の画家たちを北京に集めて、誰が優れているかコンクールを行った。

王安石の詩句(「石榴花」(ざくろの花))から、

 一万の緑の枝先に紅の一点、

 人の心を動かすのに、春はたくさんの色を用いるわけではないのだ。

を題にして、描かせたのである。

「紅一点」の語源となっている(原作詩には「多数の男性の中のたった一人の女性」という意味は全くありませんが)王安石の詩ですが、原作は「万緑草中・・・」となっています。が、まあ、そんな細かいことは気にしなさんな。

諸画工皆于花卉上装点。

諸画工みな、花卉上に点を装う。

ほとんどの画家は、花を画き、花びらの上に赤い色をつけた。

ところが、二人だけ、これと違う画を描いた画家がいた。

一人画芭蕉下立一美人、于唇上作一点紅。

一人、芭蕉下に立つの一美人を画き、唇上に一点の紅を作す。

一人は、ばしょうの葉の下に立つ美人を画いて、そのくちびるの上に、赤い絵の具を一点置いた。

もう一人は、後世にも高く評価されている戴文進。

戴文進画天松頂立一仙鶴。

戴文進、天松の頂に立つの一仙鶴を画けり。

戴文進は、大空に向かって聳える松の、そのてっぺんに、一羽の神秘的な鶴を画いた。その頭に紅の羽が一点。

すばらしい。

一等賞は、もちろん――――

朝廷竟取画美人者。

朝廷、ついに美人を画く者を取る。

朝廷の最終結果は、美人を画いた画家を選んだのであった。

「なんとのう」「高い思想的背景が認められないとは」「西欧ではこんなことはありえないだろう、東洋はおくれているなあ」

時皆為戴惜不遇。

時にみな戴のために不遇を惜しめり。

当時の文人たちは、みな戴が正当に評価されなかったのを残念がったという。

しかし、わたしが思うには、

戴画用意固高、然于春色二字窮未関会也。

戴画の用意もとより高きも、然るに春色の二字において、いまだ関会を窮めざるなり。

戴の画の思想性は確かに高い。しかし、題詩の中の「春の色」という二文字について、まだまだ関門を突破しきれてなかったのであろう。

ちなみに、

或云此是宋徽宗時画工戴徳淳事。

或ひと云う、これ、宋徽宗の時の画工・戴徳淳の事なり、と。

これは宋の風流皇帝・徽宗(1101~25)の時のことであり、画家の名前は「戴徳淳」であった、という人もいます。

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清・梁章矩「浪迹叢談」巻九より。最後に歴史的な考証が付け足されているのが、おもしろいですね。清の時代は、こういうのをどこかに書かないと「カシコい」と思ってもらえなかったんです。「土佐も高知もねえ、そんなこまけえことは気にしなさんな」と言ってると時代精神に反していたのです。
新年度に入り、新入社などでデビューされたみなさん、毎日じろじろ見られて厳しいチェックをされていると思います。時代精神を発揮して、「評価なんかできるのか、あんたらが」「ルッキズムよ、許せない」「労働生産性がおよろしいことで、ぷぷぷぷ」「わははは」「おほほほ」と、嘲笑してやってください。肝冷斎たちばかり攻撃してないで、上司やえらいさんも攻撃してください!

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