4月29日 昭和の日だ、バリバリやるぞ

儂家暫下山(儂家(われ)暫く下山す)(「寒山詩」)

GWになりました。都会は逆に空いていることであろう。少し覗きに行ってみるかな。

みなさんならともかく、聴覚も嗅覚もすぐれ、分別もあるわんこが↓そんなことするはずはありません。譬喩として成立していると言えるのか、疑問無しとしないでわん。

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儂家暫下山、入到城隍裡。

「儂」は江南地方の一人称。男も女も使ったようです。「儂家」と言ってますが「わたしの家」ではなく、「家」も一人称についてその「人」を表しています。「城隍」(じょうこう)は濠に取り囲まれた都市。

すると、むむむ!

遥見一群女、端正容貌美。

頭戴蜀様花、臙脂塗粉膩。

「蜀様」というのはそのままだと「蜀ふうの」という意味ですが、本来は「蜀様錦」(蜀の土地で生産されるすばらしい錦)のことです。「臙脂」(えんじ)は植物性の「べに」、「粉膩」(ふんじ)はおしろいと頬紅。

金釧鏤銀朶、羅衣緋紅紫。

朱顔類神仙、香帯氛氳気。

うへへへ。

時人皆顧盼、痴愛染心意。

謂言世無双、魂影随佗去。

うひひひ・・・。いや・・・、ああ! オロカなことではないか。(寒山子はここでやっと本来の自分を取り戻したのだ)

狗齩枯骨頭、虚自舐唇歯。

ここは少し解説が要ります。イヌは、もう肉片のかけらも無いしゃれこうべを見つけると、これにかじりつく。ばりばりと骨が割れて、イヌの唇や歯から血が出る。しかし、イヌは、それをしゃれこうべから出る旨い汁だと信じて、美味そうに舐めるのだ。おまえたちが現世で欲望に駆られている姿は、まさにそのままである―――と「正法念処経」というお経に書いてあるんだそうです。すさまじいといえばすさまじいが、さすがに坊主どもはうまい譬喩を使いますね。

おまえさんたちは同様に女たちを「うへへへ」と見るばかりで、

不解返思量、与畜何曾異。

人間とは言えないのではなかろうか。

ほら、見たまえ。

今成白髪婆、老陋若精魅。

「精魅」はバケモノ。

おまえさんたちは、

無始由狗心、不超解脱地。

ひいっひっひっひ。

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「寒山集」より。いつもの寒山子の飄逸たるに対して、今回は対象の表現や説教がかなり執拗です。詩を作っていて、だんだん興奮してきているような節も。珍しい一篇だといえましょう。

一方、女たちの姿やそれを追いかける男たち―――昭和のギラギラした時代を思い出させます。セクシーダンサー事件は、その時代を彷彿とさせて、元気があってよろしいではありませんか。

・・・というのはホンネではありませんぞ。実はわしはずっとこの山中にいますので、昭和とかバブルとかダンサー事件とか言っても知らないんです。知らないんだから批判してもしようがありませんよ。

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