蓋棺事定(棺を蓋(おお)いて事定まる)(「杜工部集」)
なかなか定まりませんね。

越後の縮緬問屋の隠居ミツエモンですじゃ。いつの間にか水戸黄門にされてしまいましたんじゃ。
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杜甫に「君不見簡蘇徯」という楽府題の詩があります。
「君見ずや――蘇徯(そけい)に簡す」と読んでください。
「蘇徯(という年若の友人)に贈る書簡(の代わりの詩)、「おまえさんは見てないかね?」という題の」
という意味です。
君不見道辺廃棄池。君不見前者摧折桐。
君見ずや、道辺の廃棄の池を。君見ずや、前者の摧折の桐を。
おまえさんは見てないのかね、道端にある誰にも振り向かれないあの池を。→A
おまえさんは見てないのかね、以前に誰かが切り倒してくだいてしまったあの桐の木を。→B
百年死樹中琴瑟、一斛旧水蔵蛟龍。
百年の死樹中に琴瑟あり、一斛の旧水は蛟龍を蔵す。
Bの百年前に切り倒された木の中から、名琴が切り出されたことがあり、
Aの腐ったような池の、数リットルの水の中にも、水龍が潜んでいたりするのだ。
というように、もう終わったようなものの中に、すごい価値あるものが潜んでいるものである。
大夫蓋棺事始定。君今幸未成老翁、何恨憔悴在山中、
大夫、棺を蓋いて事始めて定まる。君、今幸いにいまだ老翁と成らざるに、何を恨みてか山中に在りて憔悴す。
立派な人間は、棺に蓋をして、その事績は始めて確定する。
ところがおまえさんはまだ、幸いにも老人とさえ言い難い年じゃ。
それなのに、何が不服で、山の中に籠って苦しんでいるのかのう。
深山窮谷不可処、霹靂魍魎兼狂風。
深山窮谷には処るべからず、霹靂、魍魎、兼ねて狂風すればなり。
深い山の中、谷の奥には長居するのは難しい。
カミナリが落ち、精霊が暴れ、おまけにひどい風が吹いたりする。
山中にあって事定まろうとしても、なかなか許されないかも知れませんね。
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唐・杜甫「杜工部集」より。「棺を蓋いて事定まる」の句を探して、とりあえずここに至りました。杜甫は「晋書」の「劉毅伝」を参照したというのですが、「晋書」には西晋の元帝の賢臣・劉毅(→C)と東晋末の無頼派将軍・劉毅(→D)がいて、どちらも「棺を蓋して事定ま」りそうなんですが、一生懸命読んだけど、どちらにもぴったりした言葉が出て来ないんです。
Cの劉毅=七十歳で引退(出勤用の車をもう使わずに壁に懸ので、「懸車」といいます。)したのですが、その後もまた推薦する人があり、これに対して引退した老臣を働かせていいかどうか大議論になったひと。
Dの劉毅=東晋末期の精鋭であった北附軍に所属する下流貴族であったが、劉裕らとともに帝位を伺った桓玄の討伐に加わり、その後、道教系の反乱軍討伐に大失敗し、最終的には劉裕らに攻められて滅亡したひと。無茶苦茶はしょりましたが、自信過剰とも思える多くのエピソードを持つ。
さらに、Dの劉毅は、劉裕らに攻められた時に何とか脱出、近郊のお寺に避難しようとしたところ、お寺の方では、以前桓玄の乱の際にその一族に宿を与えたところ、住職が劉毅という将軍に殺されたことがあるので、お泊めできませんといわれて、
為法自弊、一至於此。
法を為して自ら弊せらること、一にここに至れり。
自分で決めたことで自分が困らされること(は多いが)、とうとうここまで至ってしまったか。
と嘆いて、
遂縊而死。
遂に縊して死せり。
最後は、首をくくって死んでしまった。
という「オチ」みたいな話があって(これは「晋書」ではなく、「資治通鑑」巻116所収)、ほんとに棺桶に蓋をするところで事定まっているのですが、その言葉は光からないんです。
このひとはいつ定まるかな。