4月29日 ぎゅぎゅっと閉めないと出てきますよ

蓋棺事定(棺を蓋(おお)いて事定まる)(「杜工部集」)

なかなか定まりませんね。

越後の縮緬問屋の隠居ミツエモンですじゃ。いつの間にか水戸黄門にされてしまいましたんじゃ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

杜甫に「君不見簡蘇徯」という楽府題の詩があります。

「君見ずや――蘇徯(そけい)に簡す」と読んでください。

という意味です。

君不見道辺廃棄池。君不見前者摧折桐。

百年死樹中琴瑟、一斛旧水蔵蛟龍。

というように、もう終わったようなものの中に、すごい価値あるものが潜んでいるものである。

大夫蓋棺事始定。君今幸未成老翁、何恨憔悴在山中、

深山窮谷不可処、霹靂魍魎兼狂風。

山中にあって事定まろうとしても、なかなか許されないかも知れませんね。

・・・・・・・・・・・・・・・・

唐・杜甫「杜工部集」より。「棺を蓋いて事定まる」の句を探して、とりあえずここに至りました。杜甫は「晋書」の「劉毅伝」を参照したというのですが、「晋書」には西晋の元帝の賢臣・劉毅(→C)と東晋末の無頼派将軍・劉毅(→D)がいて、どちらも「棺を蓋して事定ま」りそうなんですが、一生懸命読んだけど、どちらにもぴったりした言葉が出て来ないんです。

Cの劉毅=七十歳で引退(出勤用の車をもう使わずに壁に懸ので、「懸車」といいます。)したのですが、その後もまた推薦する人があり、これに対して引退した老臣を働かせていいかどうか大議論になったひと。

Dの劉毅=東晋末期の精鋭であった北附軍に所属する下流貴族であったが、劉裕らとともに帝位を伺った桓玄の討伐に加わり、その後、道教系の反乱軍討伐に大失敗し、最終的には劉裕らに攻められて滅亡したひと。無茶苦茶はしょりましたが、自信過剰とも思える多くのエピソードを持つ。

さらに、Dの劉毅は、劉裕らに攻められた時に何とか脱出、近郊のお寺に避難しようとしたところ、お寺の方では、以前桓玄の乱の際にその一族に宿を与えたところ、住職が劉毅という将軍に殺されたことがあるので、お泊めできませんといわれて、

為法自弊、一至於此。

と嘆いて、

遂縊而死。

という「オチ」みたいな話があって(これは「晋書」ではなく、「資治通鑑」巻116所収)、ほんとに棺桶に蓋をするところで事定まっているのですが、その言葉は光からないんです。
このひとはいつ定まるかな。

ホームへ
日録目次へ