4月28日 疣より小さいぶつぶつが痒い

不可決去(決去すべからず)(「袁氏世範」)

できないんですよ、ほんとに。ダメなところも含めて自分の一部ですから。

それは舌だ、うそはつくけど取り去ってはいかん!

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南宋の人、梧坡先生・袁采は隆興元年(1163)の進士、いくつかの県の知事を務め、紹煕三年(1192)ごろまで経歴が追えるようですが、ほどなくして在職中に亡くなったようです。その人が一族のために書き遺した家訓みたいなのが「袁氏世範」で、後世のひとが単なる「家訓」ではなく世の中一般に役に立つ、として「世範」と名付けたそうです。

今日はちょっとだけ読んでみます。みなさんの役に立つかも。

身有瘡痍疣贅、雖甚可悪、不可決去。惟当寛懐処之。

切り取ってしまうと、体の他のところにいろんな影響が出てしまうからです。

さて、

自古人倫賢否相雑、或父子不能皆賢、或兄弟不能皆令、或夫流蕩、或妻悍暴、少有一家之中無此患者、雖聖賢亦無如之何。

そこで、上の「かさ・傷あと・いぼ・こぶ」のことを心に思い浮かべてほしい。

能知此理、則胸中泰然矣。

古人所以謂父子、兄弟、夫婦之間、人所難言者如此。

いぼだったのだ。

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宋・袁梧坡「袁氏世範」巻一「睦親篇」より。聖人賢者を含め、みんな苦しんでるんだから自分だけ楽になれるはずはないだろう――という意味にも取れなくはないのですが、「裏金」とか「きわどいダンサー」とか「脱税」とかどこかで踏ん切りつけて取り除かないと、まわりのひとからどんどん見放されてしまう・・・かも。知らんけど。

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