春帰覓処(春の帰りて覓(もと)むる処)(「白楽天詩集」)
春はどこにいってしまったのだろうか、とお嘆きのみなさまへ。

春はこういうところに入ってしまって出てこないのかと思っていた。
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わたしが江州に飛ばされていたときのことですが、河南の元集虚ら十七人と一緒に、わたしの棲み家だった遺愛草堂から東と西の二つの林を抜けて、化城に至り、頂のところでしばらく休んだ。そこから香炉峰に登り、大林寺に着いて宿泊した。
大林窮遠、人迹罕到、環寺多清流蒼石、短松痩竹。
大林は窮遠にして、人迹まれに到り、寺を環りては清流・蒼石、短松・痩竹多し。
大林は人里から遠く、辺鄙なところである。人の足あとがやってくるのは稀であり、寺のまわりには、清らかな流れと苔生して青黒くなった石、背丈の高くない松と瘠せて細めの竹が多くある。
寺中惟板屋、木器。其僧皆海東人。山高、地深、時節絶晩。
寺中はこれ板屋、木器のみ。その僧はみな海東の人なり。山高く、地深く、時節は絶して晩なり。
寺の中に入ると、瓦ではなく板で葺かれた木の建物と、木製の食器や日用品ばかりである(高価な金属製品がない)。住んでいる僧侶はみな海の東、すなわち朝鮮半島から来ているひとたちばかりだ。山は高く、地は深く辺地に入り、季節は(行楽には)遅すぎる時期―――
于時孟夏月、如正二月天。梨桃始華、人物風候、与平地聚落不同、初到恍然若別造一世界者。
時に孟夏の月なれども、正に二月の天の如し。梨桃始めて華ひらき、人物の風候、平地の聚落と同じからず、初め恍然として別に一世界に造(いた)る者の若し。
ちょうど夏の初めの四月だったが、本当に二月のような空模様であった。梨や桃はようやく花開きはじめ、人も物も風景も気候も、平地の集落とは同じではない。はじめはうっとりして、別の世界に来てしまった者のように思ったほどだ。
因口号絶句。
因りて、口に絶句を号す。
そこで、口から出まかせに絶句を一首作った。
聞いてください。「大林寺に遊ぶ」―――
人間四月芳菲尽、山寺桃花始盛開。
長恨春帰無覓処、不知転入此中来。
人間(じんかん)の四月は芳菲尽くるに、山寺の桃花は始めて盛んに開く。
長く恨みぬ、春帰れば覓むる処無きを。転入してこの中に来たれるを知らざりき。
人間世界では、四月といえばもう芳しい花はすべて尽きてしまっているものだが、
この山中の寺では、桃の花がやっと盛んに咲き始めたところだ。
長い間、春が(夏になって)帰っているところはどこか、探し出すことができなかったが、
やっと、転がりながらこの大林寺の中に入り込んでいたのだとわかった。
時元和十二年四月九日。楽天序。
時に、元和十二年(817)四月九日なり。楽天序。
今は、唐の元和十二年の四月九日です。白楽天が序文を書いた。
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近人・劉永済選「唐人絶句精華」より(「白楽天詩集」中「游大林寺序」)。春はこんなところに来ていたんですね。東洋的論理的思考によって、もう近所には無いわけがわかりました。