不択衰朽(衰朽を択ばず)(「伝習録」)
衰朽してきているので、身につまされます。

石の上にも六年、やがて花咲く時もあるじゃ。
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明の時代のことでございますが、
嘗見先生送二三耆宿出門、退坐中軒、若有憂色。
嘗て先生の二三耆宿の門を出づるを送りて、退きて中軒に坐して、憂色有るを見たり。
以前、先生が、二三人の老先生たちが門を出て帰るのを見送って、戻ってきて部屋の中に座り、心配そうにしていたのを目にしたことがある。
そこで、わたくし(銭徳洪)は、
趨進請問。
趨り進みて問を請う。
しゃしゃ、と小走りに前に進み出まして、ご質問をさせていただきたい、と申し上げた。
「なんだ?」
「先生は何をご心配されているのですか」
先生はおっしゃった、
頃与諸老論及此学、真員鑿方枘。
頃(さきごろ)、諸老とこの学に論及せるに、真に員鑿(えんさく)方枘(ほうぜい)なり。
「さきほど、老先生たちとこの学問(儒学)について論じあっていたのだが、ほんとに「丸い穴に四角い蓋をする」だ。(まったく話が合わず、間違っている。)」
「と申しますと」
此道坦如道路、世儒往往自加荒塞、終身陥荊棘之場而不悔、吾不知其何説也。
この道は坦として道路の如きに、世儒は往往にして自ら荒塞を加え、終身荊棘の場に陥りて悔いず、吾はその何の説なるかを知らず。
「儒学の道は街道のように平坦なもののはずだ。それなのに、世間の儒者どもは、往往にして自分でいい加減な障害物を作ってしまい、死ぬまでイバラの茂みに陥っているのだが、それを反省もしない。一体、あれはなんという学説なのだろうか」
そして大きくため息をおつきになったのである。
わたくし(銭徳洪)は、
退謂朋友曰、先生誨人、不択衰朽。仁人憫物之心也。
退きて朋友に謂いて曰く、「先生の人を誨うるは、衰朽を択ばず。仁人の物を憫れむの心なり」と。
先生の前から退出すると、同窓生たちに言い触らして、曰く、
「先生の教育は、衰え朽ちつつある人たちをも排除するものではないのだ(。その証拠に、先生は、じじいどもの学問態度をさえ心配しておられるのである)。仁徳ある人は他人や動物・静物のことをも心配するというが、そのとおりのお気持ちなのだろう」
と。
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「伝習録」巻之下「銭徳洪録」より。銭徳洪の反応がおもしろいですね。
と、そこへみなさんが現れて、
「なんだかえらく自信過剰なひとだな、東洋的だね」
「こんな話お聴きするのは、時間のムダですわ」
「実はやりこめられて、弟子に対しては強きに出てるだけでは」
「ま、いずれにしろ大したひとではないね」
と言ってますので、
「あの、この先生は王陽明先生なんですけど」
と教えてあげたら、
「やっぱりそうか、するどい。東洋の深い思想だ」
「うなずけるお話、一つ戴けましたわ」
「きちんと見送って、しかし評価は厳しくする。すぐれた経営センスだな」
「それなら早く教えてくれよ、そういう気配りができない点において、ま、君は大した人物ではないね」
とやりこめられてしまいました。