終復故物(ついには故物に復せん)(「東軒筆録」)
もとに戻されたらたまりませんよね。

タコツボの中にじっとしているのも悪くはないが。
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宋の慶暦年間(1041~48)、陸経という進士は、出世コースの館職(天子のブレーンとして史館・集賢院・昭文館のいずれかに属する者)にあった。
一日、飲食於相国寺僧秘演房、語笑方洽、有一人箕距於旁、睥睨経。
一日、相国寺僧・秘演の房にて飲食し、語笑まさに洽(あまね)きに、一人の旁らに箕距(ききょ)する有りて、経を睥睨せり。
ある日、都・開封にある相国寺の親しい禅僧・秘演のところで飲み食いし、まわりみんなと楽しく語り大笑いしていたところ、端の方に、笊のような足を開いて失礼な座り方をした僧侶がいて、陸経の顔をじろじろと睨んでいた。
この僧が突然言い出した。
禍作矣。近在頃刻、能復飲乎。
禍い作(おこ)らんとす。近きこと頃刻に在るに、よくまた飲まんや。
「禍々しいことが起こるぞ。もうほんとに数時間後じゃ。よく酒など飲んでいられるものじゃなあ」
と。
「なんですと」
陸大怒、欲捕之、為秘演勧而止。
陸、大いに怒り、これを捕らえんと欲するも、秘演に勧せられて止む。
陸は大いに怒って、この僧侶をしょっ引いてやろうかと思ったが、座主の秘演和尚が「まあまあ」と諭したので、がまんした。
その後も宴会は続き、
「わははは」「いひひひ」「ぎへへへ」
と楽しんでいるうちに、
薄暮、飲罷上馬、而追牒已俟於門。陸惶懼不知所為。
薄暮、飲み罷めて馬に上るに、追牒すでに門に俟つ。陸、惶懼して為すところを知らず。
夕方になって飲むのを止め(当時は昼間から宴会してたんかい)て、陸経は気持ちよく馬に乗った―――のだが、その時、逮捕状を持った官吏がすでに門のところで待っていたのであった。そのことを知って、陸経はびっくりして恐れ、混乱してどうしたらいいかわからなくなった。
当時、国家権力もお寺の中にまで踏み込んで執行できなかったことがわかります。西欧中世の修道院などと同じく、俗権から保護されるいわゆるアジール(免罪地)だったようです。先ほど、陸経が僧侶を捕まえようとしたが和尚に諭されて止めたのも、アジールだったこともあるのでしょう。
しかし、門を出ればつかまってしまう。
すると、さきほど笊のように座っていた失礼な僧がまた現れて、笑いながら言った、
無苦、終復故物。
苦しむ無かれ、ついには故物に復せん。
「苦しいことはござらぬよ、最後はもとのモノになってしまうのじゃから」
「むむむ」
「もとのモノになってしまう」とは「無に帰る」ということであろうか。
陸経は寺を出たところで逮捕された。「慶暦党争」と言われる官僚たちの派閥争いが開始されたのである。
既陸得罪、斥廃累年。
既に陸、罪を得て、斥廃せらるること累年なり。
陸はもう罪に陥れられており、その後、遠方に流された上、長い間、官僚としての資格を剥奪されてしまった。
嘉祐年間(1056~63)になって、ようやく許され、
乃復館職
すなわち館職に復す。
そして、また館職になった。
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宋・魏泰「東軒筆録」巻十より。「もとのモノになってしまう」とは元の職に戻るということだったようです。「館職」は当時は名誉の職だったので、これに復職したのは陸経が如何に優秀だったかという意味らしいのですが、人生は一度だけなのに、同じ仕事を何度もしていてはもったいない。もちろん、輪廻もしないように気をつけよう。