4月25日 またこの世に戻らないようにしたいが

終復故物(ついには故物に復せん)(「東軒筆録」)

もとに戻されたらたまりませんよね。

タコツボの中にじっとしているのも悪くはないが。

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宋の慶暦年間(1041~48)、陸経という進士は、出世コースの館職(天子のブレーンとして史館・集賢院・昭文館のいずれかに属する者)にあった。

一日、飲食於相国寺僧秘演房、語笑方洽、有一人箕距於旁、睥睨経。

この僧が突然言い出した。

禍作矣。近在頃刻、能復飲乎。

と。

「なんですと」

陸大怒、欲捕之、為秘演勧而止。

その後も宴会は続き、

「わははは」「いひひひ」「ぎへへへ」

と楽しんでいるうちに、

薄暮、飲罷上馬、而追牒已俟於門。陸惶懼不知所為。

当時、国家権力もお寺の中にまで踏み込んで執行できなかったことがわかります。西欧中世の修道院などと同じく、俗権から保護されるいわゆるアジール(免罪地)だったようです。先ほど、陸経が僧侶を捕まえようとしたが和尚に諭されて止めたのも、アジールだったこともあるのでしょう。

しかし、門を出ればつかまってしまう。

すると、さきほど笊のように座っていた失礼な僧がまた現れて、笑いながら言った、

無苦、終復故物。

「むむむ」

「もとのモノになってしまう」とは「無に帰る」ということであろうか。

陸経は寺を出たところで逮捕された。「慶暦党争」と言われる官僚たちの派閥争いが開始されたのである。

既陸得罪、斥廃累年。

嘉祐年間(1056~63)になって、ようやく許され、

乃復館職

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宋・魏泰「東軒筆録」巻十より。「もとのモノになってしまう」とは元の職に戻るということだったようです。「館職」は当時は名誉の職だったので、これに復職したのは陸経が如何に優秀だったかという意味らしいのですが、人生は一度だけなのに、同じ仕事を何度もしていてはもったいない。もちろん、輪廻もしないように気をつけよう。

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