4月24日 自分で判断できないが歴史を動かすとは

丹青在山(丹青山に在り)(「管子」)

人びとはなんでも知っているみたいです。わしはあんまり知りませんが。

テレビが何でも決めてくれるのでは? テレビ持ってないけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

春秋の時代、覇者・斉の桓公の宰相、管仲が言った、

丹青在山、民知而取之。美珠在淵、民知而取之。

「丹青」は水銀の粉末である「丹砂」と青系統の土「青雘」(せいわく)のこと。いずれも染色に用いる。

是以我有過為、而民毋過命。民之観也察矣、不可遁逃以為不善。

このことをよく弁えねばなりません。

故我有善、則立誉我。我有過、則立毀我。当民之毀誉也、則莫帰問於家矣。

人びと、とはなんと恐ろしいものでありましょうか。

故先王畏民。操名従人、無不彊也。操名去人、無不弱也。雖有天子諸侯、民皆操名而去之、則捐其地而走矣。

と。「川下」の感覚を重視することが必要なようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「管子」小称篇より。家に帰って親しい者に「おれ間違ってないよね」と問うこともできない、とは、何という怖ろしい判断でしょうか。わしらにもこんな力があるのであろうか。ちょっと試してみようかな・・・と言ってアメリカのわしらはトランプさんを選んだのでしょう。やばいかも。

評言:「肝冷庵」も小論文の一種と考えれば、一定の文明の中では「評点不可能」です。実はワールドワイドなのでは。

ホームへ
日録目次へ