窮追不已(窮追して已まず)(「右台仙館筆記」)
もっと自分を律することのできる強い人間になりたいものです。

おお、人間よ、気をつけよ。深い闇には、こんなやばいやつらが蠢いているかも知れないのだ。
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清の末ごろ、銭塘の町に貝という名のじいさんがおったんじゃ。じいさんは若いころは力も強く、男気を以て自負していた。
ある日、
自城外被酒夜帰、憩於白蝋橋下。
城外より酒を被りて夜帰し、白蝋橋の下に憩えり。
町の外で酒を飲んで夜中に帰ってきて、白蝋橋のたもとで一休みしていたところ―――
瞥見一婦人趨過、覚有異、尾之行。抵一村舎、婦忽不見。
一婦人の趨り過ぐるを瞥見し、異有るを覚え、これを尾して行く。一村舎に抵(いた)りて婦忽ち見えず。
女が一人、走って通っていくのが目に入った。
(こんな時間に一人で?)
貝は腑に落ちないところがあったので、女のあとを尾けてみた。
一軒の田舎屋敷の前まで来たところで、女は掻き消すように見えなくなった。
家の門を叩いてみると、老婆が一人現れた。
聴くに、
其家止婦姑二人、是夜適反唇。
その家、ただ婦と姑二人のみにして、是の夜たまたま反唇す。
「反唇」は「口喧嘩」。
その家には、ばあさんと嫁の二人で住んでいるのだそうであるが、この晩はちょうど、ばあさんと嫁で激しく口喧嘩をした後であった。
「その嫁さんはどうしてるんだい?」
因使視其婦、已扃戸雉経矣。
因りてその婦を視せしむに、すでに戸を扃(とざ)して雉経せり。
そこで、嫁の様子を見させたところ、嫁は部屋の扉にかんぬきをかけて、首を吊っていたのであった。
「雉経」は「首を吊ること」。
大急ぎで扉を破り、
解懸救之、得不死。
懸を解きてこれを救い、死せざるを得たり。
縄をほどいて救命して、死なずに済んだのであった。
もう深夜であったので、ばあさんが泊っていけというのを断って、灯りだけもらって自宅に帰ろうとすると、
俄寒風自後来、林葉皆簌簌落。翁知為鬼。
俄かに寒風後より来たり、林葉みな簌簌(そくそく)として落つ。翁、鬼たるを知れり。
たちまち冷たい風が背中の方から吹いてきて、通り抜けようとしていた林の葉がさくさくと落ち始めた。
(おいでなすったか)
じいさん(当時はまだ若かったのですが)は、やばい妖怪が現れたことを認識した。
不之顧、鬼忽作声若相詈者。翁怒、返撃之、鬼乃退。
これを顧みざるに、鬼忽ち声を作して相詈(のの)しる者のごとし。翁怒り、これを返撃するに、鬼すなわち退く。
振り向かないで進むと、妖怪は今度は声を出して悪口を言い出した。じいさんは頭に来て、振り向きざまに殴ったところ、妖怪(らしきもの)は逃げて行った。
(逃げちまった?)
及翁行、又詈如前。
翁行くに及びて、また詈しること前の如し。
じいさんが行こうとすると、また背後から悪口を浴びせてくるのだ。
(もう許さん)
翁益怒、窮追不已。
翁益ます怒り、窮追して已まず。
じいさんはさらに頭に来て、妖怪をどこまでも追いかけまわした。
―――さて、我に返ったときには、
鶏声四起、東方白矣。復至於橋下。
鶏声四起し、東方白めり。また橋下に至る。
ニワトリの声があちこちから聞こえ、東の空がもう白くなりはじめていた。じいさん(当時は若者)は、最初の橋のたもとに戻っていた。
いや、戻っていたのではなくて―――どうやらそこから一歩も離れていなかったようだ。
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清・兪樾「右台仙館筆記」巻七より。ああコワかった・・・。と我に返ったところ、また今日もこんなお話をご紹介しているうちにすごい時間に! 間もなく東の空も白くなりはじめるのでは。どうしてこんなことで毎日時間を費やしてしまうのか。何かに憑りつかれたように。