成斯風俗(この風俗を成す)(「不下帯編」)
よいしょ、と。まずは自分は棚に上がっておいて・・・。

走り回っているとは、怪しからんやつだ。
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わたしの出身は江南の揚州ですが、
揚州者、以其風俗軽揚、故名其州。
揚州の者は、その風俗、軽揚なるを以て、故にその州に名づくるなり。
揚州のやつはその風俗が軽薄で浮かれやすいので、このためその州に「揚州」=「浮かれ州」と名付けたのである。
といわれるんです。
たしかに、唐の時代、
毎重城向夕、倡楼飲閣之上、常有絳紗灯万数、輝羅耀烈空中。繁華靡麗之風、相延迄今、不甚懸殊也。
重城の夕べに向かうごとに、倡楼飲閣の上、常に絳紗灯万数、輝羅耀として空中に烈なり。繁華麗に靡くの風、相延きて今にいたる迄、甚だしくは懸殊せず。
数階の建物を連ねる城中では、夜になるごとに、歌うたいたちのたかどの・酒を飲ませる大建築の上には、いつも赤いうすぎぬを被せた灯火が何万と、空中にきらきらとはげしく輝いていた。繁華で華麗になびく風習は、それ以来ずっと今に至るまで、あまり変わりはないようである。
それ以来、清の時代の現代まで。千年もそのままなのだ。
所謂、九里十三歩、街中珠翠綺羅、繽紛填咽。
いわゆる、九里十三歩、街中珠翠にして綺羅、繽紛として填咽せり。
「填咽」(てんえん)は(のどに詰まるように)いっぱい詰められているようす。
九里十三歩(5~6キロ)の間、街中みどりに珠がきらめき、あちらこちらにいっぱいになっている、といわれるとおりだ。
このような中で、
軽揚之輩、馳逐其間無虚日。
軽揚の輩、その間に馳せ逐いて虚日無し。
軽薄で浮かれたやつらは、その町中で走り回り追いかけ回って、一日も休むときがない。
ほんとに怪しからんですね。ところが、
究其所以、則皆両淮巨商。
その以てするところを究むれば、すなわちみな両淮の巨商なり。
そんなことをしてきたやつらをよくよく見れば、実はみんな淮水の北と南の大商人たちなのである。
揚州の人間ではなかったのです。
鹺業豪盛、較勝両浙、長蘆、河東、以致成斯風俗。其所従来者、夐已。
鹺業(さぎょう)豪盛にして両浙、長蘆、河東に較勝し、以てこの風俗を成すを致す。その従来するところのもの、夐(はるか)なるのみ。
「鹺」(さ)は「塩」のことです。
塩商人はぼろもうけするが、特に淮水の北と南の塩業者たちは、長江河口部の浙東・浙西、南京の長蘆塩田、黄河河口付近といった塩田より塩相場が高くつく。それで、こんなよくない風俗にしてしまったのだ。その原因となったことは、ずいぶん古い昔からのことなのである。
揚州出身者が悪いのではなく、淮水付近の商人が悪かったのだと判明しました。みなさんよく覚えておいてくださいね。
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清・金埴「不下帯編」巻五より。怪しからんやつらです。江戸っ子の風上にも置けねえですだ。