孟子不敗(孟子は敗れず))(「弇州山人読書後」)
なぜ孟子は敗北しないのか。「不敗の論破技術」動画セミナーの発表は可能か。

孟子は、乱戦状態でも不敗なのだろうか。
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わたくし(肝冷庵にあらず、明の弇州(えんしゅう)山人・王世貞である)が思いますに、
太史公謂荘子、梁恵王、斉宣王時人。
太史公謂う、荘子は梁恵王、斉宣王の時の人なり、と。
太史公・司馬遷の「史記」によれば、荘子は、(実在のひとで)戦国時代の魏の恵王(在位前369~前319)、斉の宣王(前319~前301)の時代に生きた、ということだ。
だとすると、孟子(前372~前289)と同時代人である。
奈何不使与孟子見而一相窮詰也。
奈何(いかん)ぞ、孟子と見(あ)いて、一たび相窮詰せしめざるや。
どうして、(荘子は)孟子と会見して、一度互いにぎりぎりまで議論してみなかったのだろうか。
荘子非告子夷之比也、其闘畢若涿鹿、彭城之戦、天地為之蕩而不寧、日月為之晦而不弁。
荘子は告子夷の比に非ず、その闘い、畢(かなら)ず、涿鹿(たくろく)、彭城(ほうじょう)の戦のごとく、天地これがために蕩として寧(やすら)かならず、日月これがために晦にして弁ぜずならん。
荘子は、(孟子が議論しあった)告子夷(告不害、孟子の論敵)とはレベルが違う。二人の論争は必ず、黄帝が涿鹿の野で蚩尤と戦った超古代大戦や、項羽と劉邦の最終決戦であった彭城の戦いのように、天地も揺るがし、それでふらふらになった天地は落ち着くことができないとか、太陽と月も光を失い、暗闇になって何ものをも見分けがつかなくなるような、そんなすごいことになったことであろう。
この大げささがいいですね。
そして、
夫荘子之敗、則逃之無何有之郷而已。然而不怒也。
それ、荘子の敗るるや、則ち無何有(むかう)の郷に逃るるのみ。然して怒らざるなり。
「無何有の郷」は、「荘子」列禦寇篇に出てくる想像上の土地、
彼聖人者、帰精神乎無始、而甘冥乎無何有之郷。
彼の聖人なる者は、精神を無始に帰し、無何有の郷に甘冥せん。
あの聖人という種族は、こころを最終的には「始まったことのない時間」にまで戻し、「どこにもあったことのない土地」に甘んじて眠っていることであろう。
と書いてあります。
さて、荘子が負けたなら、あのひとは「どこにもあったのことない土地」に逃げ出してしまうことだろう。まあ、でも、それだけで、怒るということは無いと思う。
孟子不敗也、敗則怒。
孟子は敗れざるなり。敗るれば、怒る。
孟子は負けないだろう。負ければ、怒りだして手がつけられなくなると思う。
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明・王世貞「弇州山人読書後」より「読荘子後」。負けると怒ってくるので負けません。麻雀とか一緒にしたくないですね。「全勝」さんとちょっと違うだけなのに、困ったものです。
弇州(えんしゅう)山人・王世貞は明代の名文家・後七子の一人、彼が本を読んだ後に書いたメモみたいなのが「読書後」というシリーズで、この文章は「荘子」の後に書いたものですが、荘子より孟子の実に的確な批評になっています。