余何有焉(余、何か有らん)(「觚賸」)
よくあることですよ。

きみら、まだ奇蹟とか信じてんの?
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清のころ、広東・高明県の役場から東南に六七里(4キロ前後)いったところに、禾倉頭という村がありましたんじゃ。堤防や土手が入り組んだ奥の、木々の陰に「海王廟」という小さな神社があった。
この祠の傍に、ひょろりと背だけ高い木があって、地元では「鶴木」と呼んでいたのですが、
大可合抱、俯蔭潭水。
大いさ合抱すべく、俯蔭に潭水あり。
一抱えほどの太さがあり、その木の陰には深い池があった。
この鶴木は康煕丙子年(1696)五月に
為颶風所抜、村人翦截其枝而薪之。
颶風の抜くところと為り、村人その枝を翦截してこれを薪にす。
暴風が吹いて根っこから抜けてしまった。村人はその木の枝を切り取って、薪木にしたという。
其本則枯倒水中已三年矣。
その本はすなわち枯れて水中に倒れ、すでに三年なり。
幹は枯れてしまって池の中に倒れ、三年が経過した。
この木が、なんと、
己卯(1699)五月十日のこと、
忽自起立。於本上復生新枝、其葉排比尖長、蒼翠偏反、殆如鶴羽、勢将飛翥也。
忽ち自ずから起立す。本上にまた新枝を生じ、その葉排されて比ぶるに尖長、蒼翠にして偏反し、ほとんど鶴羽の勢いまさに飛翥(ひしょ)せんとするが如し。
「翥」(しょ)は「飛ぶこと」です。
突然、自然に立ち上がったのじゃ! 幹からはまた新しい枝が生じており、葉が出て、これは以前に比べてさらに先が尖って細長くなり、青緑色で片側がひっくり返り、まるで鶴の羽が空に向かって飛び上がろうとしている様子にそっくりであった。
「不思議だ・・・」
合邑驚相伝告、以為余莅玆土、致有此瑞、欲以上聞。
合邑驚いて相伝告し、以て余に玆(こ)の土に莅(のぞ)みて、この瑞有るを致すに上聞を以てせんと欲す。
村中、驚いて互いに話し合い、わしに、そこに来てそれを見て、このようないい兆候が現れたことを、皇帝に報告してほしい、いや、すべきではないか、という議論になった。
ちなみにわしはこの時、この高明県の知事だったんです。
村からさらに県庁所在地の町まで、このことで大騒ぎになった。そこで、わしは村まで行ってそれを確認した。
そして、大いに感動して、
此天地国家之禎瑞、余何有焉。
これ、天地国家の禎瑞なり、余、何か有らんや。
「これは、天地の間、国家の運営が、うまくいっている(禎=正)ことのすばらしい兆候じゃ。それ以外の何かであるわけがない」
こう言ったところ、みんな納得して、
衆議乃息。
衆議すなわち息(や)む。
それで衆議≒騒ぎは収まった。
特に皇帝に報告したりする必要はなかった。
ちなみに、
是村又有龍眼樹而茘枝実者、已二十年。皆可異也。
この村、また龍眼樹にして茘枝の実るもの有り、すでに二十年なり。みな異とすべきなり。
この村には、また、龍眼の木なのに、茘枝(ライチ)の実が実るものがある。もう二十年も前からそうなのだそうである。これもまた不思議なことである。
だが、すべて天地の間の正しい状態なのであって、皇帝に報告して喜んでもらうようなことではない。
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清・鈕琇「觚賸」巻七・粤觚上より。いろんなことに好奇心を持って、不思議なこと・ゴシップ話などもしてくれるのですが、どこか一本筋の通った地方官であった鈕琇(ちゅう・しゅう)は字・玉樵、江蘇・呉江のひと、康煕十一年(1672)に貢生(地方から推薦されて大学に入った者)として官途に入り(したがって科挙試験を受けていない)、河南、陝西、広東などの辺地の地方官を歴任し、
操行堅苦、皭然不淄。(「清史本伝」)
操行堅苦にして、皭然(しゃくぜん)たりて淄(くろ)まず。
行動や生活態度は苦しいぐらいに堅固で、清廉潔白として汚れることがなかった。
と一地方官ながら「清史」にわざわざ彼自身の「伝」を立てられている人です。
彼が廣東の高明県知事として奉職中に、見聞きした詩文や民俗や事件を書き記したのが「觚賸」(こじょう)という随筆集です。本HPでははじめて登場すると思いますが、有名な本なんですよ。
「觚」(こ)は①「かど」②古代のさかずきの一種、③古代に文字を書き記した木札のこと、ここでは③で、「メモ」ぐらいの意味でしょうか、「賸」(じょう)は「剰」と同じで「余り物」。「メモ帳の余りもの」。篇名の「粤觚」の「粤」(えつ)は「廣東」の古名ですから、「廣東でのメモ」の意。鈕琇は高明県知事在職中に亡くなって、「清貧のため葬式が数年間できなかった」そうです。
なお、「論語」雍也篇に「觚」が出てきます。滅多に出てくる文字ではないので、ついでに読んでおきましょう。
子曰、觚不觚、觚哉觚哉。
子曰く、觚は觚ならず、觚ならんや觚ならんや、と。
先生がおっしゃった。「觚に觚がなくなった。觚なのか、觚なのか」
これだけです。
―――はあ? 何言ってるんですか、このひとは?
と思ってしまいますよね。孔子ってアホちゃうの、と思っても口にすると怒られるかも知れないので、朱晦庵先生の解釈を見てみましょう。
觚稜也。或曰酒器、或曰木簡。皆器之有稜者也。
觚は「稜」なり。或いは「酒器」と曰い、或いは「木簡」と曰う。みな器の「稜」あるものなり。
觚(こ)は、「かど(角)」である。あるときは「酒を酌む器」のことであり、あるときは「木の札」のことである。どちらも、「かど」のある道具だ。
さて、
不觚者蓋当時失其制而不為稜也。
「觚ならず」というは、けだし、当時その制を失いて稜を為さざるなり。
孔子が「觚がなくなった」とおっしゃっているのは、孔子の時代(春秋の末期)には、古代からの決まりが失われて、「かど」が無くなってしまったのだ。
ここは「さかずき」のことだとイメージしてもらえればいいんだと思います。実際、古代遺跡から飲み口の四角くなったさかずきが発掘されているので、これが本来の「觚」なのでしょう。
觚哉觚哉、言不得為觚也。
「觚ならんや觚ならんや」は。觚と為すを得ざるを言うなり。
「觚なのか、觚なのか」とおっしゃっているのは、「これでは觚というわけにはいかんぞ」と言っているのである。
よくわかりましたね。
朱晦庵の「論語集注」には、「参考にしてね」という趣旨で、次の二人の「注」が集められています。
程(伊川)先生がこう言っている。
觚而失其形制、則非觚也。挙一器、而天下之物莫不皆然。故君而失其君之道、則為不君。臣而失其臣之職、則為虚位。
觚にしてその形制を失えば、すなわち觚に非ざるなり。一器を挙げるも、而して天下の物のみな然らざる莫きなり。故に君にしてその君の道を失えば、即ち君ならずと為す。臣にしてその臣の職を失えば、すなわち虚位と為す。
「觚」でもその決められた形を失くしたものは、もう「觚」ではないのである。(孔子はここでは)一つの器のことだけを言っているが、天下のモノ・コトはすべてそうなのである。だから、君主(主権者)が君主としてあるべき道を踏み外せば、もう君主ではないのだ。臣下(サラリーマン)がそのあるべき仕事をしないなら、意味のない地位であり、給料をもらうわけにはいかないのだ。
さらっとかなりきついこと言ってますね。漢文に出て来る「君」は「主権者、主権の存するわれら国民」と読み替えてみると、たいていぴったりと行きますよ。
また、
范(仲淹)先生がこう言っている。
人而不仁、則非人。国而不治、則不国矣。
人にして仁ならざれば、人に非ざるなり。国にして治ならざれば、国ならざるなり。
人間のくせに人間性が無いのなら、そいつは人間ではないだろう。国だといってても為政者が筋を通さないなら、もう国ではない。
最後にいいこと言ってますね。・・・と余白に書き込んでみた。