4月20日 メモの余白に書き込んでしまった

余何有焉(余、何か有らん)(「觚賸」)

よくあることですよ。

きみら、まだ奇蹟とか信じてんの?

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清のころ、広東・高明県の役場から東南に六七里(4キロ前後)いったところに、禾倉頭という村がありましたんじゃ。堤防や土手が入り組んだ奥の、木々の陰に「海王廟」という小さな神社があった。

この祠の傍に、ひょろりと背だけ高い木があって、地元では「鶴木」と呼んでいたのですが、

大可合抱、俯蔭潭水。

この鶴木は康煕丙子年(1696)五月に

為颶風所抜、村人翦截其枝而薪之。

其本則枯倒水中已三年矣。

この木が、なんと、

己卯(1699)五月十日のこと、

忽自起立。於本上復生新枝、其葉排比尖長、蒼翠偏反、殆如鶴羽、勢将飛翥也。

「翥」(しょ)は「飛ぶこと」です。

「不思議だ・・・」

合邑驚相伝告、以為余莅玆土、致有此瑞、欲以上聞。

ちなみにわしはこの時、この高明県の知事だったんです。

村からさらに県庁所在地の町まで、このことで大騒ぎになった。そこで、わしは村まで行ってそれを確認した。

そして、大いに感動して、

此天地国家之禎瑞、余何有焉。

こう言ったところ、みんな納得して、

衆議乃息。

特に皇帝に報告したりする必要はなかった。

ちなみに、

是村又有龍眼樹而茘枝実者、已二十年。皆可異也。

だが、すべて天地の間の正しい状態なのであって、皇帝に報告して喜んでもらうようなことではない。

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清・鈕琇「觚賸」巻七・粤觚上より。いろんなことに好奇心を持って、不思議なこと・ゴシップ話などもしてくれるのですが、どこか一本筋の通った地方官であった鈕琇(ちゅう・しゅう)は字・玉樵、江蘇・呉江のひと、康煕十一年(1672)に貢生(地方から推薦されて大学に入った者)として官途に入り(したがって科挙試験を受けていない)、河南、陝西、広東などの辺地の地方官を歴任し、

操行堅苦、皭然不淄。(「清史本伝」)

と一地方官ながら「清史」にわざわざ彼自身の「伝」を立てられている人です。

彼が廣東の高明県知事として奉職中に、見聞きした詩文や民俗や事件を書き記したのが「觚賸」(こじょう)という随筆集です。本HPでははじめて登場すると思いますが、有名な本なんですよ。

「觚」(こ)は①「かど」②古代のさかずきの一種、③古代に文字を書き記した木札のこと、ここでは③で、「メモ」ぐらいの意味でしょうか、「賸」(じょう)は「剰」と同じで「余り物」。「メモ帳の余りもの」。篇名の「粤觚」の「粤」(えつ)は「廣東」の古名ですから、「廣東でのメモ」の意。鈕琇は高明県知事在職中に亡くなって、「清貧のため葬式が数年間できなかった」そうです。

なお、「論語」雍也篇「觚」が出てきます。滅多に出てくる文字ではないので、ついでに読んでおきましょう。

子曰、觚不觚、觚哉觚哉。

これだけです。

―――はあ? 何言ってるんですか、このひとは? 

と思ってしまいますよね。孔子ってアホちゃうの、と思っても口にすると怒られるかも知れないので、朱晦庵先生の解釈を見てみましょう。

觚稜也。或曰酒器、或曰木簡。皆器之有稜者也。

さて、

不觚者蓋当時失其制而不為稜也。

ここは「さかずき」のことだとイメージしてもらえればいいんだと思います。実際、古代遺跡から飲み口の四角くなったさかずきが発掘されているので、これが本来の「觚」なのでしょう。

觚哉觚哉、言不得為觚也。

よくわかりましたね。

朱晦庵の「論語集注」には、「参考にしてね」という趣旨で、次の二人の「注」が集められています。

程(伊川)先生がこう言っている。

觚而失其形制、則非觚也。挙一器、而天下之物莫不皆然。故君而失其君之道、則為不君。臣而失其臣之職、則為虚位。

さらっとかなりきついこと言ってますね。漢文に出て来る「君」は「主権者、主権の存するわれら国民」と読み替えてみると、たいていぴったりと行きますよ。

また、

范(仲淹)先生がこう言っている。

人而不仁、則非人。国而不治、則不国矣。

最後にいいこと言ってますね。・・・と余白に書き込んでみた。

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