鼻鼾如雷(鼻鼾、雷の如し)(「山谷題跋」)
宴会で酔っていびきをかいたりすると、「うるさい!」と、叱られたり、顔にマジックで落書きされたりします。今はハラスメントになるのかも知れませんが、むかしはよく書かれたなあ。
今日も非常にえらい人たちのおられる会議があったのですが、居眠りはしようがないとしていびきをかいてしまわないか、心配でした。もしかしたらかいてたかも。

叱られても、なかなか眠気は吹っ飛ばないぞ!また寝てしまったりするぞー!
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建中靖国元年(1101)、長沙に舫った舟の中で、収集家が持ってきてくれたのを、見ました。
これは、確かに、師匠の蘇東坡先生の書いた字である。短い手紙文(「簡札」)のようだ。
東坡居士極不惜書、然不可乞。有乞書者、正色詰責之、或終不与一字。
東坡居士は極めて書を惜しまず、然れども乞うべからざるなり。書を乞う者有れば、正色にこれを詰責して、あるいはついに一字も与えず。
東坡先生は字を書くことをそんなに嫌がらない人ですが、しかし、「書いてください」とお願いすることのできないひとである。書いてくださいとお願いするやつがいたら、真剣な顔つきで「なぜ必要なのか?」詰問してきて、そのまま一字も書いてもらえないこともあるのです。
元祐中鎖試礼部、毎来見過、案上紙不択精粗、書遍乃已。
元祐中に礼部に鎖試せらるる時、来たりて過(よぎ)らるるごとに、案上の紙、精粗を択ばず、書遍(あまね)くしてすなわち已む。
十数年前、元祐年間(1086~94)にわたしが礼部で「缶詰試験」(軟禁されて行われる在職者への試験)を受けさせられてたとき、何度も様子を見に来ては、机の上にある紙はいい紙でも悪い紙でも構わずに、真っ黒になるまで字を書きなぐって、書くところが無くなったら帰って行ったものである。
その時に、先生の字は飽きるほど見たから、今回見せられたのが先生の自筆であること(真筆)ぐらいはわかります。
※試験中にこんなことしてていいのか、とも思われるので、何か誤解してて間違いがあるのかも知れませんが、まあこれぐらいのことはやってそうでもあるのでこのままにします。
先生は、
性喜酒、然不能四五龠、既爛酔、不辞謝而就臥、鼻鼾如雷。
性として酒を喜び、然れども四五龠なること能わず、既に爛酔して、辞謝せずして臥に就き、鼻鼾、雷の如し。
本質的に飲酒が大好き。だが、五十ミリリットルも飲むことができない。その間に酔っぱらってしまい、その場を離れることなく寝転んでしまい、カミナリのようないびきをかく。
少焉蘇醒、落筆如風雨。
少焉にして蘇醒し、落筆すること風雨の如し。
しばらくすると蘇ってきて、そこで筆を持たせると、書き始めてまるで春の嵐のように激しく書くのである。
その間、
雖謔弄皆有義味、真神仙中人。此豈与今世翰墨之士争衡哉。
謔弄すと雖も、みな義味有りて、真に神仙中の人なり。これあに、今の世の翰墨の士と衡(はか)りを争うものならんや。
ふざけたり、からかったりしてくるのだが、その言葉がまた意味を含んでいるようないい言葉なのだ。本当に、仙人の中の一人、のような人である。現代の筆墨を扱って書画を描くみなさんと、天秤のどちらが重いかを争うようなレベルの方ではないのだ。
今日、見せてもらったところの
東坡簡札、字形温潤、無一点俗気。今世号能書者数家、雖規摹古人、自有長処、至于天然自工、筆円而韵勝、所謂兼四子之有以易之、不与也。
東坡の簡札は字形温潤にして、一点の俗気無し。今世の能書と号する者数家、古人を規摹(きぼ)して自ずから長処有り、天然自工、筆円くして韵勝(ま)さるに至りて、いわゆる四子の有を兼ねて以てこれに易うるも、与えざるならん。
東坡先生のハガキは、字形は温かで潤いを含み、一点の俗気も無い。現代において字が上手いといわれるひとを何人か知っているが、彼らも昔の人のお手本をきちんと勉強し、おのずと人より長所もある。自然と巧みになり、筆づかいもまるくなって風雅もすぐれている、と言われるようにまでなって、おまけに紙・筆・墨・硯、いわゆる文房四友のすべてについて名品を保有していたとしても、このハガキと交換しようと言われても、交換に載ってくる人はいないだろう。
苦しい訳ですが、こうとしか解釈できないんですよねー。「四子」を「文房四友」と解して訳してみましたが、これは実は、違うもの(例えば当時の名筆四人組とか)を指しているのかも知れません。
同観者、劉観国、王霖、家弟叔向、小子相。
同じく観る者は、劉観国、王霖、家弟の叔向と小子の相なり。
劉観国と、王霖と、うちの弟の黄叔向と、うちの息子の黄相、の四人と一緒に見た。
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宋・黄庭堅「山谷題跋」巻五「題東坡字後」。お酒は好きだけど微量で酔って、寝てしまう・・・ここまでは肝冷斎と同じなのですが、肝冷斎が醒めたあと、たいへん鬱と頭痛に悩まされるのに対して、東坡先生は風雨のように字を書いた、とは。下戸の風上にも置けませんね。
なお、東坡先生はこの年、恩赦を受けて海南島から呼び戻されるのですが、都・開封に至る途中で亡くなっています。九月に亡くなるので、五月はまだ生きています。