4月19日 少しなら洩らしてもいいかも

不泄如此(泄さざることかくの如し)(「山居新語」)

おしっこのことではありません。

何人の人物又はドウブツ又は妖怪など、がいるでしょう。洩らさずに数えられますか。

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孔子の十四世の子孫で、前漢の成帝(在位前33~前7)から哀帝(在位前7~前1)にかけて尚書などの重職を荷った孔光は、

典枢機十余年、沐日帰休兄弟妻子燕語終日、不及朝省政事。

枢機を典(つかさ)どること十余年、沐日に帰休して兄弟妻子と燕語すること終日なるも、朝省の政事に及ばず。

重要な機密を十数年にわたって所掌していたが、「お風呂休日」(お風呂に入る日として十日に一回ぐらい休日があった)で家に帰ったときは、一日中、兄弟や女房子供とのどかに話をしていたのに、朝廷や役所のまつりごとのついては一言も触れることがなかった。

あるひとが、

省中樹皆何木也。

省中の樹、みな何の木ぞや。

「宮中にはどんな木が植えられているんですか」

と訊いたことがあったが、

光黙不応、更答以他語。其不泄如此。

光黙して応ぜず、さらに答うるに他語を以てす。その泄(もら)さざることかくの如し。

孔光は黙って何も言わず、そのあと、あらためてそのひとに別の話をし始めたという。これほどまでに宮中のことは言わなかったものだ。

・・・という話を読んで、元の時代のわたしは、高昌の世傑班のことを思い出した。

元統元年、上新制小璽、貯以金函青嚢、命傑班掌之。

元統元年、上あらたに小璽を制し、貯うるに金函青嚢を以てして、傑班に命じてこれを掌らしむ。

順帝の元統元年(1333)、帝は新しく小さなハンコを作り直し、これを黄金の箱に入れて青い袋にしまいこみ、傑班に所管するように命じた。

そこで彼は、

懸于項、置于袖中、経年其母不知。

項に懸けて袖中に置き、経年その母も知らず。

その袋を首から下げて、ふところの中に入れていた。そのおふくろさんさえ、一年以上気づかなかったというのである。

親友或叩之内廷之事、則答以他説。

親友あるいはこれに内廷の事を叩くも、答うるに他説を以てす。

親友がある時、彼に宮廷内のことを訊いてみたが、彼は突然他のことを話し始めたのだそうである。

其慎密如此、時年十五歳、方之孔光、尤可尚矣。

その慎密なることかくの如く、時に年十五歳、これを孔光に方(くら)ぶるも尤も尚(たっと)ぶべきなり。

秘密を慎むことこれほどであったのだが、この時彼はまだ十五歳だったのだ。もうおじさんだった孔光に比べても、甚だしく称賛すべきことであろう。

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元・楊瑀「山居新語」より。秘密を守るなんて、えらい子どもです。子どもの概念から逸脱するかも知れないほどの子どもですから、子ども長官や子ども銀行総裁でもやれるカモ。さらに秘密子ども議事録も保管できるかも知れません。

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