不泄如此(泄さざることかくの如し)(「山居新語」)
おしっこのことではありません。

何人の人物又はドウブツ又は妖怪など、がいるでしょう。洩らさずに数えられますか。
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孔子の十四世の子孫で、前漢の成帝(在位前33~前7)から哀帝(在位前7~前1)にかけて尚書などの重職を荷った孔光は、
典枢機十余年、沐日帰休兄弟妻子燕語終日、不及朝省政事。
枢機を典(つかさ)どること十余年、沐日に帰休して兄弟妻子と燕語すること終日なるも、朝省の政事に及ばず。
重要な機密を十数年にわたって所掌していたが、「お風呂休日」(お風呂に入る日として十日に一回ぐらい休日があった)で家に帰ったときは、一日中、兄弟や女房子供とのどかに話をしていたのに、朝廷や役所のまつりごとのついては一言も触れることがなかった。
あるひとが、
省中樹皆何木也。
省中の樹、みな何の木ぞや。
「宮中にはどんな木が植えられているんですか」
と訊いたことがあったが、
光黙不応、更答以他語。其不泄如此。
光黙して応ぜず、さらに答うるに他語を以てす。その泄(もら)さざることかくの如し。
孔光は黙って何も言わず、そのあと、あらためてそのひとに別の話をし始めたという。これほどまでに宮中のことは言わなかったものだ。
・・・という話を読んで、元の時代のわたしは、高昌の世傑班のことを思い出した。
元統元年、上新制小璽、貯以金函青嚢、命傑班掌之。
元統元年、上あらたに小璽を制し、貯うるに金函青嚢を以てして、傑班に命じてこれを掌らしむ。
順帝の元統元年(1333)、帝は新しく小さなハンコを作り直し、これを黄金の箱に入れて青い袋にしまいこみ、傑班に所管するように命じた。
そこで彼は、
懸于項、置于袖中、経年其母不知。
項に懸けて袖中に置き、経年その母も知らず。
その袋を首から下げて、ふところの中に入れていた。そのおふくろさんさえ、一年以上気づかなかったというのである。
親友或叩之内廷之事、則答以他説。
親友あるいはこれに内廷の事を叩くも、答うるに他説を以てす。
親友がある時、彼に宮廷内のことを訊いてみたが、彼は突然他のことを話し始めたのだそうである。
其慎密如此、時年十五歳、方之孔光、尤可尚矣。
その慎密なることかくの如く、時に年十五歳、これを孔光に方(くら)ぶるも尤も尚(たっと)ぶべきなり。
秘密を慎むことこれほどであったのだが、この時彼はまだ十五歳だったのだ。もうおじさんだった孔光に比べても、甚だしく称賛すべきことであろう。
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元・楊瑀「山居新語」より。秘密を守るなんて、えらい子どもです。子どもの概念から逸脱するかも知れないほどの子どもですから、子ども長官や子ども銀行総裁でもやれるカモ。さらに秘密子ども議事録も保管できるかも知れません。