4月19日 太って転がるしかないのではない

沈憂令人老(沈憂は人をして老いしむ)(「文選」)

本日は「肝冷斎はなぜそのように老け込んだのか」とお問い合わせがありました。それは・・・。

転がり続ける人生だ。

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あの「転がりヨモギ」をご覧なされよ。

転蓬離本根、飄颻随長風。

「転蓬」あるいは「飛蓬」は英語でいう「テンブル・ウィード」です。アメリカ大陸にも生えていて、ヨモギの一種なんですが、根っこからごろんと抜けて、風に吹かれてごろごろ転がり、飛ばされていくんだそうです。

「飛蓬乗風」(飛蓬、風に乗ず)というと、どんどん出世していくことを喩える場合もありますが、「転蓬」の場合は、放浪する旅人の譬喩以外には使われません。

この転がりヨモギ、そのうちそのあたりに転がって根付いていくのかと思っていたが、

何意迴飇挙、吹我入雲中。

高高上無極、天路安可窮。

もう帰ることもない転がりヨモギよ。おまえは、

類此游客子、捐躯遠従戎、
毛褐不掩形、薇藿常不充。

でも、

去去莫復道、沈憂令人老。

つまり、深い憂鬱がわしを老いさせたのでございます。

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魏・曹植「雑詩」二(「文選」所収)。「風」「中」「窮」「戎」「充」まで隔句押韻で同じ韻を踏み、最後の二句だけ「道」「老」と別の韻に替わる、という「楽府」の常道を守った詩なのだそうです。
最近は憂鬱が無くなってきたので、にやにやして過ごしておりますけどね。

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