止有一子(ただ一子有り)(「何氏語林」)
あちこち間違ってるような気もしますが、どこが間違っているのか教えてください。

やはり弓と矢は男の印じゃ。タマとバット?
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則天武后朝(689~704)の名宰相、狄仁傑(てき・じんけつ)には、盧氏に嫁いで未亡人となった叔母があり、
居午橋別墅、未嘗入城。
午橋の別墅に居りて、いまだ嘗て入城せず。
長安郊外の午橋にある荘園の別荘に住んでいて、一度も長安の都の狄家に来たことがない。
仁傑は、十二月の伏臘の先祖祀りの時に、盧氏の別荘に出かけて、厳粛に祀りに参列するのが常であった。
ある年、
雪後休暇、候盧氏、適見表弟挟弧矢携雉兎帰。
雪後に休暇して、盧氏を候い、たまたま表弟の弧矢を挟みて雉・兎を携え帰るを見る。
雪の降ったあとに休暇を得て盧氏の別荘に面会に行った。ちょうど、いとこが、弓と矢を脇に抱えて、獲物のキジとウサギを持って狩から帰ってきたのを見かけた。
(いい若者になったものだ)
と感心した。
やがて、いとこは、
羞味進於堂上、顧揖仁傑、意甚軽傲。
羞味を堂上に進め、顧みて仁傑に揖するに、意甚だ軽傲なり。
自ら料理した獲物を祭祀の供物に捧げた。この時、会場の仁傑の方を顧みて、手を胸の前に組んで挨拶してきたが、政府高官に対するものにしては、ずいぶん軽々しいものに感じた。
(ほう。ずいぶん威勢がいいな)
仁傑はこれにも感心して、そこで叔母に言った。
某幸為相、表弟有所欲、願悉力従其請。
某、幸いに相たり、表弟欲するところ有れば、願わくば力を悉くしてその請に従わん。
「わたくしは、ありがたいことに今、宰相をしております。いとこどのについて、もしこうしたいということ(仕官のご希望)があれば、わたくしの力を尽くして、そのご希望に従いたい、と心より思っております」
叔母は一瞬何を言われたのかわからなかったようだが、間を置いてにんまりと笑うと、言った、
吾止有一子、不欲令事女主。
吾、ただ一子有り、女主に事(つか)えしむるを欲せず。
「わたしのところは一人っ子だからね。女に仕えさせる気には、毛頭ならないよ」
「むむむ・・・」
仁傑慙而去。
仁傑、慙(は)じて去る。
仁傑は言い訳できずに、ひきあげた。
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明・何良俊「何氏語林」巻二十八「軽詆篇」より。現代のすぐれた正義の観点からみると、突っ込みどころがあって困りますね。わたくし? わたくしはもちろん、こんな間違った考えは持っておりませんぞ。盧氏に動物愛護の心が足りないのは怪しからん。
無告の民の意見も聞いてみたいものです。