4月18日 眠くて涙がにじむ時もあるのに

目猶爛然(目はなお爛然たり)(「顔氏家訓」)

「それでも目はきらきらしている」人もいるのです。

密雲雨ふらず状態だとネコはまず寝ます。わしもじゃが。体質的なものであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

別易会難、古人所重。

いにしえの人とは誰か。

魏の曹植である。その楽府「当来日大難」(来たる日は大いに難し、に当(か)える)に曰く、

別易会難、各尽杯觴。

と。

わしはもともと江南の出身、いろいろあって北朝に仕えているわけだが、

江南餞送、下泣言離。

こんなことがあった。

有王子侯、梁武帝弟、出為東郡、与武帝別。

帝はおっしゃった、

我年已老、与汝分張、甚以惻愴。

そして、

数行涙下。

ところが、

侯遂密雲、赧然而出。

「密雲」は「易」小畜の卦辞にいう、

小畜亨。密雲不雨、自我西郊。

ということから、雲がいっぱいだが雨は降らない、悲しそうだが涙は出さない、の意味です。

この卦辞、謎めいていて神秘的で、いいですよね。いろんな解釈があるのですが、それはまたいつかお話する機会があればお話ししましょう。

さて、侯爵は涙を流さなかったというので、

坐此被責、飄颻舟渚、一百許日、卒不得去。

ということがあったのじゃ。わしの生まれたがのが梁の国、この武帝の中大通三年(531)じゃから、わしの生まれたころのお話だ・・・。

その後、北朝に連行されてきたわけだが、

北間風俗、不屑此事、岐路言離、歓笑分首。

「屑」(せつ、しょう)は、「いさぎよい」「くず」という全く違った二つの訓(日本語の意味)を持つ字ですが、もともとは本来死体を表す「尸」(しかばねかんむり)と違って、「卩」(セツ。人がひざまづいている姿)に、「八」かんむりに「月」と書く「セツ」(つとめる、はたらく)がついた文字で、「ひざまずいて仕える」というような意味の文字だったんです。それが、「絜」(ケツ。「潔」)や「剟」(テツ。削る、削りくず)と(昔は)同音だったらしく、「いさぎよい」「ゴミクズ」の意味に使われるようになった―――という数奇な文字です。さらに、ここでは、「いさぎよし」から分派した「快い」の意味で使っているようです。

というふうに風俗が違うのだが、

然人性自有少涕涙者、腸雖欲絶、目猶爛然。如此之人、不可強責。

南朝の貴族に生まれ、四つの国に仕えて苦労した顔之推らしい、すべてを受け入れていく哲学でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・

隋・顔之推「顔氏家訓」第六・風操篇より。全文ほぼ四字句で出来ており、訓読しても調子いいですね。今日は早く帰ってきたのに、「屑」の字がなんで「くず」なんだろうと調べているうちにまた大変な時間に。明日まだ平日だというのに何故こんなことをしているのか、自分の愚かしさに涙が出てきます。

それにしても、うまく表面を取り繕えないので苦労します。今日も会議で沈思黙考していただけなのに、隣にいた大先輩から「寝るの上手いな」とあらぬ突っ込みが。え? 正しい指摘?

ホームへ
日録目次へ