皆掩袂笑(みな袂を掩いて笑えり)(「嘯亭雑録」)
みんなおれのことを「あはは」「うふふ」「おほほ」と嘲笑っているらしいんです。ぎぎぎ。「いひひ」と「えへへ」もいるはずだ!

江戸時代(綱吉さま時代除く)、城中で見つかったイヌは撲殺(狂犬病の可能性があるため)、ネコは佃島に捨てられたそうです。「見ろよ、あのネコ捨てられるぜ」「あはは、みじめなもんだな」「おほほ、いい気味だよ」「うふふ、あたしが告げ口してやったのさ」などと嘲笑されていたのでしょう。悔しかったろうなあ・・・。
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清の雍正八年(1730)から乾隆十五年(1750)にかけて雲南巡撫(総督)を務めた張允随さまは、
晩年頗以謙抑自晦。
晩年すこぶる謙抑を以て自ら晦ます。
晩年になると、たいへんへりくだり、自分を押し殺して、本心を見せようとはされなかった。
本心を見せて欲しいところですが、何十年もへき地で、善政を施しました。その間、鉱山の開発や灌漑などに力を注ぎました。功績をあげている、だからこそ、政敵に何を攻撃されるかわかりませんから、本心は見せられない。えらい人は仕方ありません。
毎遇啓事者至、動云好好。
啓事者の至るに遇うごとに、動(やや)もすれば云う、「好好(はおはお)」と。
文書にサインをもらいに来る者があるたびに、たいていの場合、「それはいいな、いいな」と言っ(て、決裁してくれ)た。
いいひとではありませんか。
一日中有閣中胥吏請暇。
一日中、閣中の胥吏の請暇する有り。
ある日の昼間、事務局の下位の事務官が、休暇を請求に来た。
公問何事。
公、何事かを問う。
張公は訊いた。
「いったいどうしたのじゃ?」
胥吏は涙を浮かべて言った、
適聞父訃信。
たまたま父の訃信を聞けり。
「さきほど、おやじが死んだという連絡があったのです・・・」
公習為常、亦云好好。
公、習い常と為し、亦云う、「好好(はおはお)」。
公は、いつものとおりに、やはり「それはいいな、いいな」と言った。
舎人等皆掩袂笑、而公未覚也。
舎人らみな袂を掩いて笑うも、公いまだ覚らざるなり。
幕僚たちはみんなたもとで口元を覆って(ひそかに)笑ったが、公は少しも気づかなかった。
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清・愛新覚羅昭連「嘯亭雑録」続録巻二より。袂を覆って笑っているやつが一番ひどいですよね。いや、でも張公は気づいていて、笑っているやつらが誰と誰か確認していたのかも・・・。もしかしたら胥吏ともグルかも・・・。ああ、いろいろと想像するたびに、人間への絶望感が増してまいります・・・よね。
張允随という人がどんな人だっけ、とネットで検索したら、「肝冷斎雑志」という貧しく慎ましやかであったろうHPの平成31年4月16日日録というのが引っかかった。(同HP目次へのアクセスは本年2月から停止中。こんな残骸があるとは知りませんでした。)
このことから、あなたはどのように感じましたか。最も妥当なものを選べ。
①こんなすばらしいHPが期限切れでアクセスできなくなっているなんて悲しいなあ。
②わずか四年前に自分で書いたことを全く忘れているなんて悲しいなあ。
③張允随も胥吏も笑っていたやつも、そして彼らが愛したり憎んだりしていた人たちも、今は誰一人としてこの世にいない。人の営みは悲しいなあ。