4月15日 わたしは無理だと思いますよ

居今行古(今に居りて古えを行う)(「後漢書」)

そんなことができるのでしょうか。

花を咲かせたりこぶを取ったりはできるが、この末代の世に、いにしえの道義を行うことができるだろうか。

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後漢の任安、字・定祖は、広漢・綿竹(四川・徳陽)の人である。若いころに都・洛陽の太学に入り、東海・孟氏の易学を学び、兼ねて他の経典のいくつかにも通じた。専門に通じて、さらにいろいろ世界を広げたんです。

また、同じ郡の楊厚に

学図讖、究極其術。

「図讖(としん)の術」は、数秘術などを使って未来を予言する方法です。

時人称曰、欲知仲桓問任安。又曰、居今行古任定祖。

「仲桓」というのは優れた術を使う人の名だと思うのですが、これがどんな人なのか分かりません。まだまだ学ばねばならないことが多いです。

学終、還家教授、諸生自遠而至。

その名がさらに高まったので、

大尉再辟、除博士、公車徴、皆称疾不就。

その後、

州牧劉焉表薦之、時王塗隔塞、詔命竟不至。

皇帝からの招きなら出かけたかも知れなかったのに、惜しいことでした。

年七十九、卒于家。

時に建安七年(202)であった。

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「後漢書」巻七十九上「儒林列伝」より。今に居りて古えを行う(現代に生きているが昔のすぐれた時代のことを行える)、というのはどんなことなんでしょう。ちょんまげで生きてたりしたのであろうか。確かに有名にはなれそうです。みなさんは出来るかな?

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