無以為食(以て食(し)と為す無し)(「郎潜紀聞」)
さきほど、四国で地震が起こったみたいです。明日の朝にならないと被害状況わからないかな・・・。

ごはんが無ければカスミを食べればいいじゃないか!(おれは無理でぶー)(おれもでカッパ)
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銭塘の趙晋斎先生は、嘉慶、道光時代の、金石(青銅器や石造物)の専門家であった。
以一窮書生而収蔵之精博、逾於世家、可謂好事。
一窮書生を以て収蔵の精博なること、世家に逾(こ)ゆること、好事というべし。
貧しい書生だというのに、その収集行為は精確で博識であり、何代も続いた金もちの家を超越していた。これは物好き、というべきであろう。
家貧無以為食、嘗手鈔秘書数千百巻、以之易米、困苦終身。
家貧にして、以て食(し)と為す無く、嘗て秘書数千百巻を手鈔して、これを以て米に易え、困苦すること終身なり。
家が貧乏なので、食べ物にするものがない。先生は、秘密の蔵書数千巻を手ずから筆写して、これをコメと交換して、非常に苦労して人生を送ったのである。
「秘密の」と書くとエッチなやつにしか見えませんが(日本の文化はそういうのが得意なんです)、そうではなく他では手に入らない、というような類でしょう。
ああ、
世之田園坐擁、挿架森儲、忽忽悠悠虚糜歳月者、聞晋斎之風、中汗顔無地矣
世の田園に坐擁し、挿架森儲(しんちょ)として、忽忽悠悠と歳月を虚糜(きょび)する者、晋斎の風を聞きて、汗顔して地無きに中らん。
世間では、片田舎で座ってまま、本棚には森のようにものがある。そんな中で、あっという間に、しかもだらだらと、歳月を虚しく溶けさせてしまっている人―――あなたのことかも知れませんよ。この趙晋斎の生き方を聞いて、恥ずかしさのため顔中汗だらけになって一か所も乾いたままにはなっていないだろう(そんなぐらい恥ずかしい思いをしていないか。)。
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清・陳康祺「郎潜紀聞」四筆巻一より。「糜」(び)はもともと「おかゆ」のことです。「歳月を虚糜にす」(年月を虚しくおかゆのようにとろけさせてしまう)、おかゆなら食べられるからいいじゃないか、という気もしてまいりますが、体重減らすにはおかゆしかない、と「今昔物語集」に書いてあったから、おかゆは普通ごはんよりは虚しいのでしょう。