以為神仙(以て神仙と為す)(「弇州山人集」)
普段読んでいるのは役に立っているのか、といわれると「むむむ・・・」と恨めし気に言った人を睨み据えるしかないわれらだが。え?「われら」とか一緒くたにしないでくれ? みなさんは役に立つ本読んでるんですか。

おいらは「彗星」であって「酔生」ではない。
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明の萬暦のころですが、南京の張夢晋は、
恒曰、日休小豎子耳、尚能称酔士、我独不耶。
恒に曰く、日休は小豎子(しょうじゅし)なるのみ、なおよく「酔士」と称す。我独りせざらんや。
いつも言っていた。
「唐の詩人・皮日休はほんの小僧っこでしかない。それでも「酔いどれのだんな」と名乗っていたというじゃから、わしの方がその名乗りをガマンしなければならん、ということはあるまい」
彼は科挙試験を受けなかったから、「進士」とか「挙人」という称号は持っていなかったので、「酔士」(酔いどれだんな)と名刺に書き込んでいたのである。
ある日、郊外の虎邱山に散歩に行った。
会数賈飲山上亭、且詠。
数賈の山上亭に飲み、かつ詠うに会す。
山上のあずまやで、何人かの商人が宴会を開いており、飲んだり詩を吟じたりしていた。
これを望み見た張夢晋、何を考えたか、
更衣為丐者、上丐賈。
衣を更えて丐者となり、賈に上丐せり。
服を着替えて乞食のみなりになり、商人たちが宴会しているところへ行って、お恵みを乞うた。
「めぐんでやるぞ」「萬暦時代は景気がよかったからな」「さあ食え食え」
商人たちは気前よく残り物を投げ与えてくれた。
「おありがとうござーい」
食已前請曰、繆労諸君食、無以報。雖不能句、而以狗尾続。奈何。
食已みて前(すす)みて請いて曰く、諸君の食を繆労し、以て報ずる無し。句する能わずといえども、狗尾に続くるを以てせん。奈何(いかん)ぞ、と。
食べるだけ食べてしまうと、一段と進み出て、
「みなさまの食事の時間に要らぬご迷惑をおかけしながら、何かお返しすることができませぬ。詩なんか作れるはずはございませぬが、みなさまの尻尾になにか続けてみようと思うのですじゃが、如何でしょうか」
と言った。
「狗尾に続く」は、
狗尾続貂。
狗尾に貂(てん)を続く。
イヌの尻尾にイタチのをつなぐ。
前と後ろ、うまく連続していないものをつないでみる。
というような意味です。(「晋書」に出るという)
賈大笑、漫挙詠中事試之。賈不測、始令賡。
賈大笑し、漫に詠中の事を挙げてこれを試む。賈、測られず、始めは賡(こう)せしめたり。
「賡」(こう)は「賡酬」(こうしゅう)、詩文を交代で贈り合うこと。
商人たちは(「わはははは、乞食どのがのう、お相手いただけるというか」「いっひっひっひ」「ぐふふふふ」と)大笑いし、いい加減に詩歌をうたう時に普通やる事を挙げて、できるかどうか試してきた。商人たちには乞食(張)の実力などわからないから、まずは詩歌の応酬をしあおうではないか、と吹っ掛けてきた。
くそー、自分がバカにされているようで悔しいです。今日も若いやつに「あははは」と笑われ(たような気がし)て、悔しかったなあ。
商人たちに勝負を挑まれて、
張復丐酒、連挙大白十数、揮毫、頃而成百首、不謝竟去、易維蘿陰下。
張また酒を丐(こ)い、大白十数を連挙して、毫を揮い、頃而(たちまちにして)百首を成し、謝せずして竟に去りて、維を蘿の陰下に易(か)う。
張はさらにお酒を恵んでくださるようにお願いし、大さかずきになみなみと注いだのを十数杯一気に飲み干すと、筆を揮って、あっという間に百首の答えの詩を書いた。そして、(相手が啞然としている間に)あいさつもせずにその場を去り、(離れたところの)蔦の下がっている陰で服を着替えたのであった。
乞食の格好ではなくなりました。
賈陰使人伺之、無見也。大駭、以為神仙云。
賈、陰(ひそ)かに人をしてこれを伺わしむるに、見る無し。大いに駭(おどろ)き、以て神仙と為せりと云う。
商人たちは、付き人にそっと乞食の姿を追わせてみたが、見つからない。それを聞いて大いに驚き、「神仙だったのではないか」と大騒ぎした・・・ということです。
商人たちが大騒ぎしながら行ってしまったあと、
張度賈遠、則上亭、朱衣金目、作胡人舞、形状殊絶。
張、賈の遠のくを度りて、すなわち亭に上り、朱衣金目にして胡人の舞を作して、形状ことに絶せり。
張は、商人たちがもう遠くに行ってしまったのを確認して、あずまやにやってきた。朱色の服に着替え、目に何かを嵌めて金色にして、ペルシア人の舞を踊った。その姿、踊り、どちらもまったく普通でなかった。
変な人ですね。
彼の親友で、これまた放誕を以て聞こえた唐伯虎は郷試でトップになって官途についた・・・が、事件があって免職になって帰ってきた。
そこで張は唐のところへ遊びに入り浸ろうとしたが、
家以好酒益落、有妬婦、斥去之、以故愈自棄不得。
家は好酒を以てますます落ち、妬婦有りて、これを斥去し、故を以ていよいよ自棄し得ざりき。
酒好きなので彼の家はさらに落ちぶれてしまい、その上、(唐の家には)嫉み深い女房がいて、張を追い出したので、それ以上は捨て鉢になってしまうことはできなかった。
彼の作品は世に伝えられたが、
見者靡不酸鼻也。
見る者、酸鼻せざるは靡(な)し。
読んだ人は、みんな悲しい気持ちになった。
「酸鼻」は鼻がつんとするような悲痛な思いをすること。ここは、詩文の中身があまりに放誕なので、常識人のみなさんは悲痛な思いをした、ということのようです。
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明・王世貞「唐伯虎与張夢晋善」(唐伯虎、張夢晋と善し)(「兗州山人四部稿」所収)。さすがに、後世の識者をして、
擅長写狂士。
狂士を写すに擅長(せんちょう)す。
変なひとを描くのがたいへん得意であった。
と評された王世貞先生、なんのために何をしているのかわからない人のことを一体何のために書いているのわかりませんが、萬暦という時代の何かを伝えてはくれているような気がします。あくまで気がするだけですが。