4月16日 役に立たない文章も時々読む

以為神仙(以て神仙と為す)(「弇州山人集」)

普段読んでいるのは役に立っているのか、といわれると「むむむ・・・」と恨めし気に言った人を睨み据えるしかないわれらだが。え?「われら」とか一緒くたにしないでくれ? みなさんは役に立つ本読んでるんですか。

おいらは「彗星」であって「酔生」ではない。

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明の萬暦のころですが、南京の張夢晋は、

恒曰、日休小豎子耳、尚能称酔士、我独不耶。

彼は科挙試験を受けなかったから、「進士」とか「挙人」という称号は持っていなかったので、「酔士」(酔いどれだんな)と名刺に書き込んでいたのである。

ある日、郊外の虎邱山に散歩に行った。

会数賈飲山上亭、且詠。

これを望み見た張夢晋、何を考えたか、

更衣為丐者、上丐賈。

「めぐんでやるぞ」「萬暦時代は景気がよかったからな」「さあ食え食え」

商人たちは気前よく残り物を投げ与えてくれた。

「おありがとうござーい」

食已前請曰、繆労諸君食、無以報。雖不能句、而以狗尾続。奈何。

「狗尾に続く」は、

狗尾続貂。

前と後ろ、うまく連続していないものをつないでみる。

というような意味です。(「晋書」に出るという)

賈大笑、漫挙詠中事試之。賈不測、始令賡。

「賡」(こう)は「賡酬」(こうしゅう)、詩文を交代で贈り合うこと。

くそー、自分がバカにされているようで悔しいです。今日も若いやつに「あははは」と笑われ(たような気がし)て、悔しかったなあ。

商人たちに勝負を挑まれて、

張復丐酒、連挙大白十数、揮毫、頃而成百首、不謝竟去、易維蘿陰下。

乞食の格好ではなくなりました。

賈陰使人伺之、無見也。大駭、以為神仙云。

商人たちが大騒ぎしながら行ってしまったあと、

張度賈遠、則上亭、朱衣金目、作胡人舞、形状殊絶。

変な人ですね。

彼の親友で、これまた放誕を以て聞こえた唐伯虎は郷試でトップになって官途についた・・・が、事件があって免職になって帰ってきた。

そこで張は唐のところへ遊びに入り浸ろうとしたが、

家以好酒益落、有妬婦、斥去之、以故愈自棄不得。

彼の作品は世に伝えられたが、

見者靡不酸鼻也。

「酸鼻」は鼻がつんとするような悲痛な思いをすること。ここは、詩文の中身があまりに放誕なので、常識人のみなさんは悲痛な思いをした、ということのようです。

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明・王世貞「唐伯虎与張夢晋善」(唐伯虎、張夢晋と善し)(「兗州山人四部稿」所収)。さすがに、後世の識者をして、

擅長写狂士。

と評された王世貞先生、なんのために何をしているのかわからない人のことを一体何のために書いているのわかりませんが、萬暦という時代の何かを伝えてはくれているような気がします。あくまで気がするだけですが。

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