4月16日 なんでこんなに時間と労力かかるのか

此語激神(此の語、神を激す)(「庸閒斎筆記」)

今日もうまく更新できなかったのだ(←その後、4月17日に三日ぶりに成功)、もうこんなブログなんか止めて・・・むぐぐ、あ、いや、なんでもございません、ああ楽しいなあ、前向きに生きるのは・・・と、表面は怒っていないように見せることはできます。

われわれ神仏は、たいていのことは、なんとかするよ! 少々妥協は必要だけど。

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上海郊外の青浦県の城隍神(町の守り神)は、明の時代に太守であった沈恩という人である。この人は清廉で節義を重んじ、地元の人たちにたいへん信頼されたといい、亡くなって神となってからも、祈れば何らかの対応をしてくれると言って、人々はたいへん信頼を寄せていた。

ある時、蘇州の人が用務で来訪し、城隍神を祀る宮に散歩に来て、非礼なことをしたことがあった。(立小便とかそんなことであろう。)
すると、

是夜、忽哀号叩首、遍身杖痕、其従者亟命舟載帰、未及家即死。

このことは青浦県誌にも書いてあるが、こういうふうに怒ると祟る神さまでもあったのだ。

公墓在上海。青浦人恒據資前往修理。至今不廃。

わたしは、この青浦で二年ほど知事をしていたが、

遇暘雨不時、往禱輒通。

同治己巳年(1869)の六~七月は雨がよく降った。県庁は当時低湿地にあったので、周囲の民家とともにいつ沈んでしまってもおかしくないほどであった。このころわたしはもう年齢も六十に近かったので、

死不為夭、顧将己之生年為民請命、倘可挽回、殞身不恨。

と、本心から、

祝畢、乃起立再白神、謂、我志如是。特恐神不能代達天聴耳。

時陸文魚署教諭事。

その彼が

笑曰、君方求神、乃作此語激神乎。

然自此雨勢漸止、余亦無恙、是殆会当晴霽、故余得苟全性命耳。

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清・陳其元「庸閒斎筆記」巻三より。わざわざ怒らせてはいけませんよね。神さまに祈ることで人間としての努力を減らせるならいいのですが、祈りは別として努力はしなくてはいけない場合も多いので、みんな祈ることを忘れてしまうのであろう。

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