無書則已(書無ければ則ち已む)(「幽夢影」)
やる気なければ則ち已む。

食欲はあるよ。というかあまり食べたくなくても、食べてるよ。
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眠いです。だが、アップできることがわかったので、やる気出てきた。
天下無書則已、有則必当読。
天下に書無ければ則ち已むも、有れば則ち必ず読むべし。
天下に書物が無いならそれでいいのだが、有るなら必ず読まねばならぬ。
無酒則已、有則必当飲。
酒無ければ則ち已むも、有れば則ち必ず飲むべし。
お酒が無いならそれでいいのだが、有るなら必ず飲まねばならぬ。
無名山則已、有則必当游。
名山無ければ則ち已むも、有れば則ち必ず游ぶべし。
名山が無いならそれでいいのだが、有るなら必ず旅しに行かねばならぬ。
無花月則已、有則必当賞玩。
花月無ければ則ち已むも、有れば則ち必ず賞玩すべし。
花や月が無いならそれでいいのだが、有るなら必ず見て愛でてやらなければならぬ。
もう一つ、
無才子佳人則已、有則必当愛慕憐惜。
才子佳人無ければ則ち已むも、有れば則ち必ず愛慕し憐惜すべし。
詩人と美女が無いならそれでいいのだが、いるなら必ず愛し慕い、(その薄幸を)憐れみ惜しまねばならぬよね。
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清・張潮「幽夢影」(166則)。天下にパソコンが無ければいいのだが、あるので何とか更新しようとして困っていましたが、今日は成功しました。だが、だんだんまたやる気なくなってきた。楽しい日本に住んでますが、やる気のないのが普通なので。
ところで、上のことばに、作者の弟と思われる張木山先生が「評語」を書いています。
談何容易。即吾家黄山、幾能得一到耶。
談ずること何ぞ容易なる。即ち吾が家の黄山は、ほとんど能く一到を得るや。
言うだけならなんと容易いことであろうか(、実行が伴わなければいけない)。ということは、うちの黄山(のように立派な兄さん)は、だいたい一渉りはやっとるのだな。
うまいことやっつけましたね!