4月14日 みなさんもこの人に続こう

有赤心耳(赤心の有るのみ)(「資治通鑑」)

先々代あたりの肝冷斎が「開元天宝遺事」をもとに一部をお話したことがあるかと思うのですが、すでに散佚しておりますので、はじめてご紹介するふりをしてお話しましょう。前回の講話の時も、みなさんから「たいへん勉強になった」「サラリーパーソンのバイブル的存在」などとお褒めの言葉もいただいております。

ぶた、というだけで愛らしい上に、ギターを弾いたりしたらたいへんな寵愛を受けることであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・

天宝六年(747)春正月、范陽平廬節度使・安禄山に中央の官である御史大夫(検察次長)を兼ねさせることとした。さて、

禄山体充肥、腹垂過膝。

ふとっていたのです。どれぐらい肥っていたかというと、

嘗自称腹重三百斤。

一斤≒600グラムで計算しました。これ、「腹の重さ」だけですから、全体重は300キロぐらいあったかも知れません。

こんなに肥っていては自己管理能力がない「愚物」ですから、辞めさせないといけません。

ところが、

外若痴直、内実狡黯。

ふ、肥っているのにかしこい? すごいですね。もし痩せていたらどれほどの賢者であったことか。

常令其将劉駱谷、留京師、詗朝廷指趣、動静皆報之。

と、情報収集にも油断なかったのです。

禄山在上前、応対敏給、雑以詼謔。

たとえば・・・・

上嘗戯指其腹曰、此胡腹中何所有、其大乃爾。

禄山、こたえて言った、

更無余物、正有赤心耳。

「そうであったか」

上悦。

また、

嘗命見太子、禄山不拝。左右趣之拝、禄山拱立。

「どうしたのじゃ」

禄山は言った、

臣胡人、不習朝儀、不知太子者何官。

帝はおっしゃった、

此儲君也。朕千秋万歳後、代朕君汝者也。

禄山は言った、

臣愚、曩者惟知有陛下一人。不知乃更有儲君。不得已、然後拝。

そう言って、小さく拝礼した。

「うんうん、そうであったか」

上以為信然、益愛之。

うーん、勉強になった。こんなふうにやらんといかんのですぞ。

・・・・・・・・・・・・・・

宋・司馬光「資治通鑑」唐紀より。こんなに役に立つとは、安禄山先生に新入社員研修で講演でもしてもらった方がいいかも知れんぞ・・・というおえら方が出るかも知れません。でも、こんなことやっていたら皇太子には睨まれることになります。陛下万歳の後はやばくなりますから、謀反起こすしかなくなります。それでもよろしければ。

ホームへ
日録目次へ