雨師無頼(雨師無頼なり)(「儒家小誌」)
わかせこが衣はる雨ふるごとに野べのみどりぞ色まさりける(つらゆき)
うちのひとの着物にのりを張ってつやを出す―――その「張る」雨のふるごとに、野原の緑が濃くなってくる季節だわねえ。
実際は春雨は役に立っているんだと思いますよ。

子どもはウソなんかつかないんだよ!うっしっし。
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もう花の季節も終わりですね。
日暮雨師無頼甚、声声妨睡滴簷牙。
日暮れて雨師は無頼甚だしく、声声睡を妨げて簷牙に滴る。
日が暮れて、雨の神は役立たずのやくざ者なることさらにひどくなりおって、
雨の音が眠りを妨げて軒端から水が流れ落ちるほどとなった。
「無頼」は、役立たずのワルを罵るコトバ、「史記」高祖本紀に曰く、
高祖の九年(前198)、天下を統一して皇帝となった漢の高祖・劉邦は、未央宮を建てて、そこで親父の太上皇を上座に宴会を開いた。
高祖奉玉卮、起為太上皇寿曰、始大人常以臣無頼、不能治産業、不如仲力。今某之業所就、孰与仲多。
高祖、玉卮を奉じて、起ちて太上皇のために寿ほぎて曰く、始め大人常に臣の無頼にして産業を治むる能わざるを以て、仲の力(つと)むるに如かずとす。今、某の業の就(な)るところ、仲の多きといずれぞや、と。
高祖は玉のさかずきを両手で持ち、立ち上がって太上皇に対して、長寿を祝って言った、
「以前、おやじどのは、わしが役立たずで生産に携わることができないので、仲(次兄)の兄貴がこつこつやるのに及びもつかぬ、とおっしゃられたのう。今、わしの仕事は成功した。仲の兄貴の仕事とどちらがようやったですかのう」
と。
「無頼」は本来は「無利」で、収穫が無いことだ、とも、子どもはうそばかりいうので「信頼ができない」の「うそつき小僧」の意だともいうらしいのですが、いずれにせよ役立たずへの悪罵の言葉です。
すると、
殿上群臣皆呼万歳。大笑為楽。
殿上の群臣、みな万歳を呼ばう。大いに笑いて楽しみを為せり。
宮殿に居並んだ群臣どもは、みは「ばんざい!」と叫び合った。そこから後は、みんなで大いに笑って楽しんだのだった。
楽しそうでいいなあ。
しかし、今夜はひどい雨だ。
でも、いいや。
今宵縦是損梅尽、応有明朝売杏花。
今宵、たといこれ梅を損じ尽くすとも、まさに明朝は杏花を売る有るべし。
今晩中に、もしウメの花が雨ですべて落ちてしまったとしても、
明日の朝にはアンズの花売りがやってくるだろうから。
江戸の町に花売りが来たころの詩ですが、まだウメやアンズのことを言ってます。サクラの季節にさえなってなかった。
もうその季節も終わりです。
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本朝・山本緑陰「春雨」(「儒家小誌」所収)。緑陰は通称・亮助、茶仏老人とも号す、江戸のひと。天保八年(1837)卒す。山本北山の息子です。卒年六十一は数えだから、わたしよりもう若いな。最近こんなのばかり気になりますんじゃ。あんまり役に立たないのに、まだこちらの世におります。