我本来事(我が本来の事)(「呻吟語」)
いつも眠いんです。居眠りしたりうとうとしているのが本来のことで、目が覚めている時間があったとしても、それは偶然のことに過ぎない。

神妙にして生きているのに。
そういえば、上方では万博が始まったそうです。熱く騒がしいのでしょう。あるいは切符売れなくて冷え切っているのか。
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明代のことですが、
一巨卿還家。
一巨卿、家に還る。
あるおえら方が、職を退いて家に帰った。
すると、
門戸不如做官時、悄然不楽。
門戸、官を做すの時に如かず、悄然として楽しまず。
玄関に来る人は現職だった時に比べて寂しく、ガッカリして楽しくない日々を過ごしていた。
引退したおえら方は言った、
世態炎涼如是。人何以堪。
世態の炎涼、かくの如し。人、何を以て堪えんや。
世間の態度の熱い、冷たいはこのようなものなのだ。わしにはガマンできない。
わしは彼の家まで行って、言ってやった、
君自炎涼。非独世態之過也。
君自ずから炎涼せり。独り世態の過ちに非ず。
おまえさんが、自分で勝手に熱くなったり冷たくなったりしておるんじゃよ。世間の態度だけが悪いわけではないのだ。
平常淡素、是我本来事、熱鬧紛華、是我倘来事。
平常の淡素、これ我が本来の事、熱鬧の紛華、これ我が倘来(とうらい)の事なり。
いつもどおりの平穏で、淡々とそのままでいる、これが我々の本来の状態ではないか。熱く騒がしくて飾られて華やかでいる、これは我々の偶然の状態である。
「倘来」(とうらい)は、「もしかしたら起こる」「そういう場合もある」ぐらいの意味です。
君留連富貴、以為当然、厭悪貧賤、以為遭際。何炎涼如之、而暇歎世情哉。
君、富貴に留連するは、以て当然と為し、貧賤を厭悪するは、以て遭際と為す。何ぞ炎涼かくの如くして、しかも世情を歎くの暇あらん。
おまえさんは、財産と地位を引き続き保有することが当然のように思い、貧乏と低い地位をいやがって、災難に遭うかのように考えているわけだが、(おまえさんの心が)そんなに(富貴に)熱く、(貧賤に)冷たくなっているのに、その上に世間の態度を歎いているようなヒマが、よくあるものじゃなあ。
・・・と言ってやったそうです。
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明・呂坤「呻吟語」人情篇より。さくらの満開が早まっているとしたら、それは世の中が、どんどん熱く、騒がしくなってきているから・・・という以外に科学的な説明ができません。資本主義のせいなのですじゃ。