江流洗吾鉢(江流に吾が鉢を洗う)(「艸山集」)
本日はむかしの仲間がわたしの長く生きていたのを銀座で祝ってくれました。

銀座フランス料理店でいぬねこのように分別無くバターを食ってしまい、なぜ太ったかバレてしまう。
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既に、
生涯有衣鉢、 生涯に衣鉢有るのみ、
到処是吾廬。 到処にこれ吾が廬なり。
この生涯には、ただ一枚の衣とどんぶり鉢があるだけで、
どこに行ってもそこがわしの庵である。
と言う自由な境地にある肝冷庵ですが、
一切無障礙、 一切障礙無く、
暫時囲太虚。 暫時に太虚を囲めり。
どんなことにも邪魔されない自由な境地は、
どんなところでも、あっという間に宇宙全体を包み込む。(「新艸堂に宿す」)
ので、乞食坊主の姿ですが、錫杖を突いて銀座にも行くことができるのです。
そして銀座ですごいメシ食わせてもらえました。ありがとうございます。お祝いくださったのは、某学長、某委員、某幹部です。この中では所得が一番低いのですが、乞食坊主ですから仕方ありません。こんな楽をしてこんなのを食わせてもらえるのだから、日ごろの行いのなんといいことであろうか。
さあもう腹いっぱいだ。
飯罷江流洗吾鉢、 飯罷みて江流に吾が鉢を洗わば、
鯨鯢魚鼈飲充腸。 鯨鯢(げいげい)魚鼈(ぎょべつ)飲みて腸を充たせ。
メシを食い終わって、わが鉢を洗おう、
雄クジラも雌クジラも魚もすっぽんも、(この食べ残しを食って)腹いっぱいになるがいい。(「船中喫飯」)
普段食べているものだと魚やすっぽんも見向きもしまいが、今日は銀座で食ったのである。わしの食べ残しでも美味かったことであろう。
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本朝・元政上人「艸山集」巻十八・十九より。元政上人は江戸時代のはじめごろ、京・深草に棲んだ詩僧である。お母さんを大事にしたので、水戸光圀が
嗚呼忠臣楠子、嗚呼孝子元政。
と楠木正成と並べて敬愛したというすごい人なのだ。