不可糊塗(糊塗すべからず)(「郎潜紀聞」)
「糊塗」は糊を塗って、「ぼやかす」「ごまかす」「あいまいにする」の意。

ほんとのことばかり言っていると気持ちがいいなあ。
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康煕・雍正・乾隆の三帝に仕え、吏部・礼部・戸部の尚書を歴任、清朝の最高判断機関である軍機処制度を実質的に作り上げたといわれる文和公・張廷玉(最後は乾隆帝に忌避されて失意のうちに亡くなったのですが)の随筆集「澄懐園語」を閲していたら、こんな言葉がありました。
予在仕途久、毎見升遷罷斥、衆必驚相告曰、此中必有縁故。
予、仕途に在ること久しく、升遷・罷斥せらるるごとに、衆必ず驚きて相告げて曰く、「この中に必ず縁故有らん」と。
「縁故」は「わけ」「理由」ぐらいの意味です。
わしは、長いこと役人をしておる。その間に、出世したり、罷免・排斥されたり、ということが随分あったが、そのたびに、それを聞いた人たちは、びっくりしたような顔をしてわしに言う、「この人事には何か「わけ」がありますぞ」と。
そう言われると、
余笑曰、天下事、安得有許多縁故。
余笑いて曰く、天下の事、いずくんぞ許多の縁故有るを得ん、と。
わしは(出世のときも排斥のときも)笑って言うのだ、「この世の中に、そんなにたくさん「わけ」があるはずが無かろう」と。
くうううう! けだし名言であろう。
また、雍正帝の腹心で乾隆帝の即位にも関連したといわれる名臣、文端公・鄂爾泰は張廷玉の後輩に当たるが、彼が言ったという有名なコトバ、
大事不可糊塗、小事不可不糊塗。若小事不糊塗、則大事必至糊塗矣。
大事は糊塗すべからず、小事は糊塗せざるべからず。もし小事に糊塗せずんば、則ち大事に必ず糊塗するに至らん。
大きな問題は曖昧にしていてはいけない。しかし、小さな問題は曖昧にしておかなければならない。もし小さな問題を曖昧にせずに(何でもかたをつけようとして)いれば、大きな問題が出たときに必ず曖昧にしてしまうぞ。
も、張廷玉「澄懐園語」に書かれて、伝わったのである。
張廷玉の本はタメになるなあ。
ところで、わたくし思いますに、
文端生平識量淵宏、規画久遠、此数語大有閲歴、足以警世之積穀把柁者。
文端は生平より識量淵宏にして規画も久遠、この数語大いに閲歴有りて、以て世の積穀の柁を把する者を警しむるに足る。
文端公・鄂爾泰さまは普段から認識の幅が大きく深く、企図する画策も先を見通しておられた。上述の数語も、いろいろ重要な経歴を持つ立場からなされたもので、世間の穀物を積んだ舟の舵を取る人(指導的な地位にあるひと)たちに戒めの言葉となるに足るであろう。
若夫胸無遠猷、疏闊僨事、輒藉口於不拘小節、則転不如謹守縄尺之士、猶不至禍人国而害及蒼生也。
夫(か)の胸に遠猷無く、疏闊にして事を僨(たお)すも、すなわち小節に拘わらざるに藉口するがごときは、則ち転じて縄尺を謹守するの士たりて、なお人の国を禍い、害の蒼生に及ぶに至らざらん。
もしも、胸中に遠いはかりごとが無く、おろそかでいい加減で物事を壊してしまうのに、「いや自分は小さな事にはこだわらないのだ」と言い張るようなやつは、真っすぐな縄と分度器をきちんと使って、謹厳に役割を守るような人物に変化しなければならない。そうなれば、ひとさまの国に災いをもたらして、実害が人民にまで波及する、ということにはなるまいから。
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清・陳康祺「郎潜紀聞」初筆巻十三より。ウソではありません。ひとさま(国民主権)の国で実害を人民にまで及ぼすようにはなりませんように。