尽是人事(尽くこれ人の事なり)(「程氏遺書」)
これからは、若い人ががんばってくださいよ。

「今日は世界女性の日なのよ」そうですか。なるほどのう。
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北宋のころのこと、程伊川先生は、
見一学者忙迫、問其故。
一学者の忙迫なるを見て、その故を問う。
ある先生が大忙しでいるのを見て、その理由を問うた。
学者曰く、
欲了幾処人事。
幾処の人事を了せんと欲す。
いくつも、世俗の仕事を終わらせようとしているからです。
講演や原稿を抱えているのかも知れません。
先生はおっしゃった、
某非不欲周旋人事者。曷嘗似賢急迫。
某も人事を周旋せんと欲せざるには非ず。なんぞ賢の急迫なるに似ん。
やつがれも世俗の仕事を切り盛りしたいと思わないではないんです。だが、あんたみたいに大忙しにはならないなあ。
味わい深いですね。同じことはしなければならなくても、大忙し(「急迫」)にしてはいけません。
また、伊川先生がおっしゃるには、
人悪多事。或人憫之。
人は多事を悪(にく)む。或るひと、これを憫(うれ)う。
人間というのはやらねばならないことがたくさんあるのを嫌がるものだ。やる事が多いのでイヤになっている人もいることだろう。
その気持ち、わしもわからないではない。とはいえ、
世事雖多、尽是人事。人事不教人做、更責誰做。
世事多しといえども、ことごとくこれ人事なり。人事は人をして做(な)さしめざれば、更に誰に做すを責めんや。
世間でやらねばならないことは多いとはいえ、どれもこれも人間の仕事だ。人間の仕事は人間にさせなければ、いったい誰にしろといえばいいのか。
我々がやっていくしかないではないか。
これもいいコトバだと思います。だが、新自由主義の人から見たら、ロボットやAIや非正規労働の人にやらせて要らなくなったら斬ればいいじゃない、はい論破、かも。
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「程氏遺書」巻三及び巻十五より(実はいずれも「近思録」巻十所収)。今日は鳥山明さん亡くなりました。だいたい同世代ですからね。残念だが、世界的な仕事をし遂げて、現役で突然・・・ということには本心から同慶の至りです。