3月8日 カッパは冬眠中なので登場しません

焉用彼(焉(いず)くんぞ彼を用いん)(「桯史」)

足痛いし、腹筋がこむらがえりを起こすし、寒いし、転ぶし、もうイヤですわー。

本日は国際女性デー。ありがたや。

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南宋初期に対金抗戦を主張し、枢密使として壮大な戦略で金軍の四川侵入を防ぎ、また河南では文官ながら前線指揮官としても多くの功績をあげたのですが、主和派の秦檜らに憎まれて長く左遷生活を強いられた紫巌老人・張浚の名を知らない人はありますまい・・・と思ったけど現代日本ではあまり知られてないと思います。朱晦庵の親友であった南軒先生・張栻のおやじ、と言った方が有名なのかな。その死後、行状は息子の張南軒の依頼で朱晦庵が書いています。

なお、張浚の一時期部下でもあり、優秀な武人ながら、秦檜と結んで岳飛を失脚させた張俊とは違う人ですので念のため。張俊の方は岳飛廟の前に、秦檜夫婦と一緒に石像になって、今も唾を吐きかけられているのでこちらの方が有名でしょう。

さて、この張紫巌老人、秦檜さまの全盛期には、

謫居十五年、憂国耿耿、不替昕夕。

昕(きん)は、「朝」。

一日中、憂えていたのです。

秦檜さまが亡くなった時、

時宰恃虜好而不固圉、紫巌方居母喪、上疏論時。

これを支持するひとも多かったんです。朱晦庵などもそうであった。

「なななななんだと、怪しからん!」

朝廷以為狂、復詔居零陵。

零陵は壮族の居住地に近い辺境の地です。そこではやることがあんまりなかったんだと思いますが、

一日、慨然作几間丸墨並常支筇竹杖二銘。

墨の銘に曰く、

存身于昬昬、而天下之理因以昭昭。斯為瀟湘之宝、予将与之帰老。

いいですねー。

逍遥杖(そぞろ歩きのための杖)の銘に曰く、

用則行、舎則蔵、惟我与爾。危不持、顛不扶、則焉用彼。

いいですねー。どんなやつらだろうなー。

ところがまた、争いを起こしたい人がいるものなのだ。

或録以示当路、大怒、以為諷己。将奏之、会病卒、不果。

後、抗戦派寄りの中立系の宰相・陳俊卿がこのことを時の皇帝に申し上げ、皇帝は感じ入って、「逍遥杖銘」を自らの杖にもお刻みあそばしたのでありました。
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宋・岳珂「桯史」巻十より。えらい人には「何の役にも立たないと使わなくていいんだ、君のようにな」「あはは」「おほほ」「うふふ」という教訓に読めてしまうかも知れません。違うんですけど。
動かなくなったおもちゃだって治してくれる人もいるというのに。

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