無逕可登(登るべきの逕(みち)無し)(「快雪堂漫録」)
雪の積もった道なんか出勤できるはずがない・・・「いや、やる気になれば何でもできるぞ」・・・と言われると困りますね。対偶を取ると「何にもできないのはやる気がない」になります。

アリをはじめとする虫たちはおびただしい数がいるのである。「昆虫惑星・地球」と称されるゆえんだ。ほんとうの支配者は虫なのである。
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浙江・処州の仙都山というのは、
高峯抜地千尺、如痩木、無逕可登。
高峯地を抜くこと千尺、痩木の如く、登るべきの逕(みち)無し。
高い峰が地面から三百メートルぐらい突出しており、まるで痩せた木のような山容で、登ろうとしてもそんな道は探せない。
と言われ、仙人の世界に通じる山だという伝説があるのですが、
上有頂湖。三年前、有見白衣人在焉、俄化為雲気而滅。
上に頂湖有り。三年前、白衣人の在りて、俄かに化して雲気と為りて滅するを見ること有り。
頂上に湖がある。三年前のことだが、この湖に、白い着物の人がいて、突然ガス状に変化して、雲のようになって消えてしまったのを見たことがある。
と、
徐茂呉説。
徐茂呉説けり。
徐茂呉が言っていた。
ちょっと待った。登る方法の無い山の頂で人が消えたのを見た、誰がどうやって見たんですか?
―――と質問があると困りますので、おれではなく徐茂呉に訊け、ということですね。まあやる気があればそれぐらいは見えるんでしょう。
次のお話です。
陳季象が云うに、ある時、舟に乗って直嶋という島に行くことがあった。
その時、
舟子云。
舟子云う。
船乗りが言っていたことだが―――。
二重に伝聞になっています。おれでないだけでなく、直接の情報提供者・陳季象の責任でも無いことだと言うのです。
村民某家、夏月見火殃如斗大。堕其庭中、滾入室内。
村民某家、夏月に火殃の斗大なるもの見(あら)わる。その庭中に堕ち、室内に滾入す。
村のなにがしの家で、ある夏の日に、(明代の一斗≒)17リットルぐらいの大きさの火の玉が出た。庭にどすんと落ち、部屋の中にずるずると上がってきた。
某家ですから、どこの家のことかもわからないようですが、
某急以石臼掩之、擁以土、如覆釜形。
某、急ぎて石臼を以てこれを掩い、土を以て覆釜の如き形に擁す。
その家のなにがしは、慌てて(庭にあった)石臼を火の玉にかぶせて、周りを粘土で固めた。まるで伏せた釜のような形の土器みたいになった。
なにがしは、
秘其故、戒子孫無開。
その故を秘して、子孫に開く無かれと戒しむ。
その理由は教えずに、子孫にはこの土盛りを絶対に掘り返すな、と遺言した。
理由を言うと、「火の玉あ? ご先祖のやつ、幻覚かよー、ぶははははは」と嗤われるのがイヤだったのかも知れません。
某死後有物螘而黄、従擁土処出甚多、家人頗以為苦。
某の死後、物の螘(ぎ)の如くして黄なる有りて、土を擁する処より出づるもの甚だ多く、家人すこぶる以て苦と為せり。
なにがしが死んだ後、アリのような黄色い虫がその固められた粘土の間から這い出てきた。あまりにも膨大な数が出てくるので、家の者たちはたいへん困っていた。
そこで、
発臼焚螘、火忽騰上、其家焚焉。
臼を発きて螘を焚くに、火たちまち騰上して、その家焚(や)けり。
土を掘り起こし、臥せてあった臼をひっくり返すと、うわあ・・・・うじゃうじゃと黄色いアリがいた。「焼き殺そう」とそのアリの群れの中に火をつけた薪を放り込んだところ―――
どーん。
と炎が上がり、家に燃え移って全焼してしまった。
溜まっていたガスが爆発したのでしょう。と考えれば、合理的なお話ですね。
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明・馮夢禎「快雪堂漫録」より。この本はこういう不思議な怪しいお話を話者の情報付きで遺してくれていて、責任者がはっきりしているのが特徴的です。
快雪堂主人・馮夢禎は浙江・嘉興のひと、萬暦の進士、
生平耽慕禅悦、淡於仕進。
生平、禅悦を耽慕し、仕進に淡なり。
ふだんは座禅を組んでキモチよくなるのに夢中で、役所での出世にはあまり興味が無かった。
晩年にまとめた「快雪堂集」を三十年後に子孫がようやく出版しようとしたが、
工未久即燬於火。
工いまだ久しからざるに即ち火に燬(や)かる。
開版作業が始まってそんなに時間が経たないうちに火事で原本も版木も焼けてしまった。
ただ、
今復梓漫録。求嘗一滴水、亦足知大海味矣。(「陸氏識語」)
今、また漫録を梓す。一滴の水を嘗めんと求むれば、また大海の味を知るに足らん。
現在、ようやく「漫録」だけ印刷できた。馮先生の文章のうちの一滴の水程度だが、それでもこれを求めて舐めてみれば、その大きな海にも比すべき全体像の味わいを知ることができるであろう。(「陸氏の後書き」)
だそうです。「大海の味を知るに足らん」は、いい宣伝文句ですね。
先生は、南京国史監に長く務め、見たもので印刷に付さなかったものはなかった、といわれるほどの校正・出版マニアでもあったそうです。「快雪堂漫録」は日本での国訳は見たことがありませんが、旧肝冷斎が何話か紹介していたようですね。快い雪ならいいのですが、明日は寒くて積もる雪だそうです。会社行くのムリだろうなあ。しかたがないなあ。