終無左証(ついに左証無し)(「嘯亭雑録」)
証拠がないと困りますね、債権者は。おれたちの方は別にいいけど。

いつも言ってますが、寝てると150年ぐらいすぐに過ぎるでメー。
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清の乾隆年間のころ、
有吾邑金氏子、随其舅氏之官甘粛、遇道士於漢龍山。
吾が邑の金氏の子有りて、その舅氏の甘粛に官するに随うに、漢龍山に道士に遇えり。
我が家の本拠地の北京郊外に住む金氏の若者が、甘粛に官職に就いた義父のスタッフとして赴任した際、現地の漢龍山という聖地で、とある道士に出会った。
この道士、
年九十余、作江南語。状貌偉然、頗善書法。自云曾為諫職、以劾権相去官。
年九十余り、江南の語を作す。状貌は偉然、頗る書法を善くす。自ら云うに、かつて諫職たりて、以て権相を劾して官を去れり、と。
年齢は九十を過ぎていた。江南の方言を話す。体つきや顔つきは大ぶりで、たいへん字が上手い。自ら云うところでは、
「かつて役人として問題点を追及する諫官となり、権力ある大臣を批判、弾劾して、職に居られなくなって辞めたのじゃ」
と。
自称繍髪道人、不言姓字居里。金氏子屢叩之、不告也。
自から「繍髪道人」と称し、姓字・居里を言わず。金氏の子しばしばこれを叩くも告げず。
「ぬいとり髪の道士」と自分では名乗っていたが、本名や郷里については全く言わなかった。金氏の若者は何度も訊ねてみたそうだが、とうとう教えてもらえなかった。
後金氏帰告諸士大夫。
後、金氏帰りてこれを士大夫に告ぐ。
やがて北京に帰ってきた金くんは、これを手掛かりにいろんな役人OBに聞いて歩いた。
すると、古い人たちは、
皆云其状彷彿笪侍御。
皆、その状、笪侍御に彷彿たり、と云う。
だれも彼も、その姿かたち、立ち居振る舞い、侍御(検察事務を行う御使の若手官僚)だった笪(たん)さんにそっくりだ、と言うのであった。
試みに史書を見るに、
笪侍御重光、句容人、居官有直声。嘗劾明珠、余国柱二相国、棄官辞去、不知所終。
笪侍御重光は句容の人、官に居りては直声有り。かつて明珠・余国柱の二相国を劾し、官を棄てて辞去して終わるところを知らず。
侍御職の笪重光は、江蘇・句容のひと(江南出身である)、役人時代は遠慮無く直言をする人だと名高かった。あるとき、明珠(みんじゅ)さま、余国柱さまの二人の宰相を弾劾し、自らも辞職してしまった。その後の人生、どこで亡くなられたのか、などは不明。
とある。
弾劾された納蘭明珠(のらん・みんじゅ)は康熙帝の信頼篤く、三藩の乱や台湾鄭氏の討滅などに帝を補佐した重臣ですが、腹心の余国柱とともに収賄の罪を以て弾劾され、康煕二十七年(1688)、内閣大学士(宰相)の地位を失う。しかしその後も帝の信頼は衰えず、侍衛内大臣として権勢を揮った―――のですから、弾劾に参加したら後々までまずかったのも頷けます。
その年齢からして、笪侍御本人か否かは別として、この納蘭明珠事件に関わったとみて間違い無かろう。
ただし、
然終無左証也。
然れどもついに左証無し。
しかしながら、最終的に証拠は何も無かった。
「証拠」のことを「左証」というのは、いにしえ、債権者は契約の印を割って、左手に持った方「左契」を手元に、右手に持った「右契」を相手方に渡した。したがって、債務者から取り立てる時の証拠に示すのが「左契」であったので、「左証」というのである・・・そうです(逆だったという説もあります)。
「老子」第七十九章に曰く、
和大怨必有余怨、安可以為善。是以聖人執左契、而不責於人。有徳司契、無徳司徹。天道無親、常与善人。
大怨を和すれども必ず余怨有れば、いずくんぞ以て善と為すべけんや。これを以て聖人は左契を執るも、人に責めず。有徳は契を司り、無徳は徹を司る。天道は親無く、常に善人に与(くみ)すなり。
大きな怨みごとを解決した際に、ちょっとした怨みがさらに残ったとすると、これは善くないことである。それゆえに、聖なる賢者は、債権を示す左契の割符を持っていても、人にカネ返せとは迫らない(貸したカネのことは忘れてしまう)。徳あるものはかくの如く、契約の印を使うかどうかだけを考えるが、徳の無いものは何事をも明白にして筋を通し、債権債務をきちんと処理しようとするものだ。
だが、おてんとさまは、親類だからといって贔屓しないからね。善人(筋を通すよりも妥当な結果を求める人)の方の味方をするもんじゃよ。うっしっし。
正義を通すよりは得をしよう、という「老子」思想、いいですね。新自由主義に負けないように頑張ろう。
さて、金氏の若者はその後、江蘇の句容まで行って、
訪其宗久已徙去。
その宗を訪うも、久しく已に徙り去れり。
その一族を訪問してみたが、もうずいぶん前に離散した、ということであった。
この話をわたしは幼いころに、幼いころに聞いた話だ、と今のわたしと同じぐらいの年ごろの老人から聞いたのである。
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清・愛新覚羅昭連「嘯亭雑録」巻十より。筋を通すとやばい、しかし、それを機に世を棄てることができる。どちらが人生総決算すると得するか、若い人は試してみる価値あるかも知れませんよ。