水無常形(水に常形無し)(「孫子」)
啓蟄です。冬眠を終えてヘビが出て来るぞ。ヘビはにゅるにゅるしてとらえどころがない。敵に捕捉されない軍隊のようだ。そうだ、ヘビを真似れば戦争に勝てるかも知れません。早く終わるといいですね。

今年はヘビ年だ!覚えてた?
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大先生は、ヘビより水を真似ろ、と言ってます。
夫兵形象水。水之形、避高而趨下、兵之形、避実而撃虚。
それ、兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて下に趨り、兵の形は実を避けて虚を撃つ。
さてさて。軍の動きは水の流れにたとえられる。水の動きは、高いところを避けて低いところに向かうが、軍の動きも、相手が充実しているところを避けて空っぽのところを攻撃するのがよいのじゃよ。
すなわち、
水因地而制流、兵因敵而制勝。
水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制す。
水は大地の高低によって流れをコントロールし、軍兵は敵の状態によって勝利をコントロールする、というわけじゃ。
ほう。そうなんですか。自分で勝手に動けばいいのに、何故敵の状態によらなければならないのか。
唐・李筌の注に曰く、
不因敵之勢、吾何以制哉。夫軽兵不能持久、守之必敗、重兵挑之必出。怒兵辱之、彊兵緩之、将驕宜卑之、将貪宜利之、将疑宜反間之、故因敵而制勝。
敵の勢に因らざれば、吾何を以て制せんや。それ、軽兵は持久能わず、守れば必ず敗れ、重兵は挑めば必ず出づ。怒兵はこれを辱め、彊兵はこれを緩やかにし、将驕ればよろしくこれを卑しむべく、将貪なればよろしくこれを利し、将疑えばよろしくこれを反間す、故に敵に因りて勝ちを制するなり。
敵の状態によらなければ、わしらは何によって(自分たちを)コントロールすればいいのかな?(目標物が無いと動けないぞ。)さてさて、装備の軽い軍は長く活動することができないから、これを守備に使っていれば必ず敗ることができる。装備の重い軍は(勝てると思っているから)挑みかかってやれば必ず陣地から出てくる。怒りに燃えた軍は屈辱を与え(てさらにヒートアップさせ)てやれ。緊張感を持った強い軍は緊張感を解かせてしまえ。将軍がプライドの高いやつだったらバカにしてやれ。将軍が欲深なやつだったら利益を食らわしておびき出せ。将軍が疑い深いやつだったらスパイを送り込んで内部に疑惑を起こしてやれ。・・・というふうに、敵の状態によって、勝敗をコントロールすることができるのである。
なるほど。
故兵無常勢、水無常形、能因敵変化而取勝者、謂之神。
故に兵に常勢無く、水に常形無く、能く敵の変化に因りて勝ちを取る者は、これを神と謂う。
というわけで、軍には一定の勢いというものが無い(常に変化する)。水流には一定の形というものが無い。敵によって変化できた者が勝ちを取るのであり、そういう者を「神秘的」と謂うのじゃよ。
そうですか。
三国・魏武侯(曹操)の注に曰く、
勢盛必衰、形露必敗、故能因敵変化、取勝若神。
勢盛んなれば必ず衰え、形露(あらわ)るれば必ず敗る、故に能く敵に因りて変化するものは、勝ちを取ること神の若(し)。
勢力が盛んなものはいつか必ず衰え始める(から、そこを狙う)。状態を明らかに観察できれば必ず敗ることができる。だから、敵によって変化(して戦うことが)できる者は、神秘のように勝つことができる。
ちょっと難しい。
故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生。
故に五行には常勝無く、四時には常位無く、日に短長有り、月に死生有り。
木火土金水の五つの「本質」は、どれかが常に勝っている、ということはない。次々に入れ替わっていく。春夏秋冬の四季にも一定の季節が支配的なまま、ということはない。どんどん入れ替わっていく。一日の長さも変わるし、月は死んだり生まれ変わったりする、というわけじゃ。
はあ。それが軍とどういう関係にあるのですか。
唐・李筌注に曰く、
孫子以為五行四時日月盈縮無常。況於兵之形変、安常定也。
孫子は以て五行・四時・日月の盈縮を無常と為す。況や兵の形は変じ、いずくんぞ常定あらんや。
孫子先生は、五つの本質、四つの季節の移行、日の長さの変化、月の満ち欠けを見て、物事には一定の状態というものは無い、と判断したのである。それにも増して、軍の状態はどんどん変化していくのだから、そこに常に一定のものがあるはずはないのである。
なるほど。
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「十一家注孫子」虚実篇より。十一家というのですから十一人の注釈を並べた「孫子」の決定版!ですが、今回は二人分しか取るべきものがありませんでした。乞うご期待。