満架群書(満架の群書)
わたしの家には本棚というものが無いので、壁とかに積まれていて崩れてきます。本棚があると本棚から落ちて来るから大変ですね。

歪曲、猥褻、矮小、の3Yじゃ。
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満架群書未厭多。
満架の群書、いまだ多きを厭わず。
本だないっぱいにいろんな本があるが、多すぎてイヤだということにはなっていない。
江戸時代初期に京都・深草に住した元政上人の七言詩「偶成」に書いてありました。
我昔強論理、訔訔肌有汗。
我、昔、強いて理を論じ、訔訔(ぎんぎん)として肌に汗有り。
「訔」(ぎん)は鋭く論じ合うさま。同じ部首を使っても「訕」(せん)だと「そしる」の意になります。
わしもむかしは強面で理屈を言い、
ぎゃあぎゃあと論じ合って、肌から汗が流れるほどであった。
今不求甚解、従容凭書案。
今、甚だしくは解するを求めず、従容(しょうよう)として書案に凭(よ)る。
今ではそんなにきちんと理解しなくてもいいやと思うようになり、
脱力して読書机に寄り掛かっている始末じゃ。
香火以事仏、長不干世宦。
香火以て仏に事え、長く世宦に干(あずか)らず。
元政上人は兄貴が彦根藩士で(おやじは安芸・毛利氏に仕えていたという)、姉貴に殿さまの手がついて、甥っ子が第三代彦根藩主・井伊直澄であらせられる。自分も若いころは彦根藩に使ていたので「世宦(代々の役人勤め)」というのは兄貴とおれ、ぐらいの意味です。
お香に火をつけて仏さまにお仕えする身分なので、
もう長いこと、代々の役人勤めには関与していない。
身纏百納衣、自忘貧与賤。
身に百納衣(ひゃくのうえ)を纏い、自ずから貧と賤を忘れたり。
身には百枚のボロ布をつないで作った服(「袈裟」のことです)を着て、
おのずから貧乏や身分が低いということは気にならなくなってしまった。
「和欧陽読書詩」(欧陽の読書の詩に和す)はまだ続きますが、今日はここまでといたします。
満架の本が崩れて来ないので、がっかりですね。
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本朝・深草元政「艸山集」より。元政上人は、学問もあるし詩や書もうまいので、洛中の尊崇を身に浴びていたひとである。本を貯めておくために土蔵を作って、その土蔵が今でも残っている、と中村真一郎さんが書いている、そうです(植木雅俊「江戸の大詩人 元政上人」(中公叢書2018)による)。全勝さんもそのうち誰かが土蔵買ってくれますよ。
「美しい国」「新しい資本主義」「楽しい日本」と並べると、「楽しい」のが一番ええやろ、という気になりますね。薬物や集団催眠などで簡単に実現できそうだし。「とてつもない」というのもありました。