修髯皓歯(修髯と皓歯)(「觚賸」)
月末です。年度末です。明日はエイプリルフールだ。何があってもウソだからいいのだ。

おじさんは、寒くてもはだかでがんばっているよ!よいこのみんなもがんばろう。
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清の初めごろに広州・長寿寺に石濂和尚という高徳の僧がおり、その弟子に寄生という僧侶がいた。
寄生童真入道、精純一職。
寄生は童真にして入道し、精純一職なり。
寄生は、まだ子どものころに女犯を知らずに出家し、以来、純粋に精魂こめてひたすらに修行に勉めてきた。
中歳忽示微疾、白其師。
中歳忽ち微疾を示し、その師に白す。
大人になったあと、突然ちょっとした病気になった時、師匠に行った。
某二十年後、再来助和尚、重興飛来旧刹。乞塔全身於此。
某二十年後、再来して和尚を助け、重ねて飛来旧刹を興さん。塔を乞いてここに身を全うせんとす。
「わたしは二十年後に、またやってきてお師匠をお助けしたいと思います。その時は、飛来寺の建物を再建しましょう。そのため、どうか塔を一つお造り願い、そこにわたしの「そのままの体」を安置いただきた」
「飛来寺」は、いにしえ、天竺から飛んで来た、という伝説があった名刹(有名寺院)ですが、この時期は廃寺になっていたようです。
弟子のいまわの際の頼みである。
石濂許諾、泊然而逝。
石濂許諾するに、泊然として逝けり。
「わかった」
石濂和尚が請け合うと、寄生はすっきりしたような顔をして、死んでしまった。
・・・それから数えて14年後。
康煕三十三年(1694)閏五月、
洪潦浸龕、意将荼毘、見夢於和尚。
洪潦龕を浸し、まさに荼毘せんと意うに、和尚に、夢に見(あら)わる。
洪水が起こって、寄生の死体を祀ってある仏塔が浸水しそうになり、石濂和尚はもう火葬して別のところに祀ろうと考えたが、その晩、夢の中に寄生が現れたのであった。
そして、
以法体不壊為言。合山禅衆夢亦如是。
法体壊(え)さざるを以て言を為す。合山の禅衆、夢みることまたかくの如し。
「わたくしの死体の本質は腐敗することがございません」と言った。驚いたことに、寺中の僧侶がみな同じような夢を見たというのである。
そこで、全員で、
啓龕而観、荘容儼若。
龕を啓きて観るに、荘容儼若たり。
死体を収めた仏壇を開いて見たところ、死体はきちんとした姿そのままであった。
乃於長寿西偏建不昧堂、迎供肉身。
すなわち長寿の西偏に不昧堂を建て、肉身を迎供す。
そこで、長寿寺の西のはずれに「不昧堂」というお堂を建てて、そこに寄生の死体をお迎えして祀ることにした。
実は、
余於戊寅八月至堂瞻礼、猶見其修髯皓歯、結趺冥坐、無異定中僧也。
余、戊寅八月に堂に至りて瞻礼をし、なおその修髯と皓歯にて結趺冥坐するを見るに、定中の僧と異なること無し。
わたしは、康煕三十七年(1698)の八月に、この不昧堂まで行って、きちんとした手順を踏んで、死体を見せていただいた。その時も、頬のヒゲが長く伸び、白い歯を見せてじっと目を閉じて座禅している姿は、生きている僧侶が瞑想に入っているのと、まるっきり見分けがつかなかった。
二十年の約束まであと三年である。何が起こるのであろうか。
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清・鈕琇「觚賸」巻七「粤觚(広州の話)篇」より。自分で見たんだからたいへん科学的です。明日ならエイプリルフールかも知れませんが、今日なので真実です。ただし、三年後がまだ将来なので、結果どうなったのかについて記述が無いのでがっかりです。
この記述も、結果がどうなったかが将来のことなのでわかりません。しかしオノマトペを作れない英語に負けることはないでしょう。わははは。