3月30日 寒いです。二酸化炭素減り過ぎたのでは

金玉満堂(金玉堂に満つ)(「老子」)

この間、あるところでこの章を読んで、やっぱり「老子」はええこと言うてはるなあ、と思いました。ただし「金玉」は「キンタマ」と読むとにやにやしてしまうので、「きんぎょく」と読んでください。

長生きはしてみるものじゃ。断熱材も役に立つようでなによりじゃ。

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持而盈之、不如其已。
揣而梲之、不可長保。
金玉満堂、莫之能守。
富貴而驕、自遺其咎。
功遂身退、天之道。

いいですね。最後だけ三文字なのが、すべてを言いきらずに含蓄を持たせて、我々に何かを考えさせようとしている賢者のはかりごとのようにさえ、見えます。

あんまり見たこと無い字は「揣」(スイ・シ)と「梲」(セツ)ぐらいでしょうか。「揣」は普通には「はかる」、手で「耑」(たん)を持っています。「耑」は草(下は根っこ)に横棒「一」を入れて、「上の端っこ」を示す文字で、これを手にして、「測る」とか「揃える」、あるいは金属の器を「鍛える」という意味になります。「梲」(せつ)は「兌」(ダ、よろこぶ、巫師がエクスタシーに入っている状況とも)に木へんがついていて、「飛び出した木」を意味し、「うだつ」(うだつが上がるの「うだつ」です)と訓じていますが、金へんに変えてみるとはっきりわかりますように「するどい」「するどくする」の意味も持ちます。以上から、「揣(すい)してこれを梲(せつ)する」は、「金属器を鍛えて鋭くする」という意味、と解されます。

つまり、

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「老子」第九章。一行一行がおそらく古代からの言い習わしなのだと思われます。どれもこれも味わい深い。古代の庠や序(男子学校。若衆宿)で教えられていた「教養」なのでしょう。しかもそれを総括して「遂功身退」の一行にまとめてくださいました。「老子」というじじいが実在したかしなかったか知らんけど、この章を書いた人は相当の賢者であったろうとおもわれます。

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