3月3日 誰か耳を側だてて聴いてるかも

以水投水(水を以て水に投ず)(「淮南子」)

耳の日です。耳よりな話をしますと、しょうゆとソースを混ぜると、ソースの味がします。ただ、ちらっとしょうゆの隠し味もします。さっき確認しました。

本当の真犯人が誰であったか、陰謀はもはや闇に葬られたのじゃ。

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紀元前5世紀のはじめごろ、2500年ぐらい前ですが、楚の国のどこかで、

白公問於孔子、曰人可以微言。

この「白公」は楚の国の白の領主であった羋勝(び・しょう)のことです。「羋」は滅多に見る字ではありませんが、楚の国姓(王家の姓)です。彼は楚の太子の嫡子ですが、数奇な運命をたどって、鄭に父を殺され、その鄭と同盟を結ぶ楚の現政権に強い不満を持っていました。

要するに、秘密の話をしたい、陰謀に関わっていただきたい、と声をかけたのである。

「ほえほえ」

孔子不応。

白公勝はまた訊いた。

若以石投水中、何如。

どうしても関わっていただきたい。秘密は守ります。

孔子は言った、

呉越之善没者能取之矣。

「それでは、

若以水投水、何如。

うーん。注釈者としてはツラいところですが、正直、どんな状況を譬えているのかわかりません。ほとんど禅問答みたいです。「言わなくてもお分かりでございましょう、くっくっく」みたいなことでしょうか。

孔子は言った。

葘澠之水合、易牙嘗而知之。

白公勝は(いらいらしたのでしょうか)言った、

然則人固不可与微言乎。

「ほえほえ」

孔子は言った、

何謂不可。誰知言之謂者乎。夫知言之謂者、不以言言也。

「はあ」

争魚者濡。逐獣者趍。非楽之也。故至言去言、至為無為。夫浅知之所争者末矣。

(何言ってるんだ、このひとは)

白公不得也。

わたしどももよくわかりません。

故死於浴室。

そうですか。気を付けます。

白公勝は、紀元前472年に楚にクーデタを起こして重臣たちを暗殺し、楚王を監禁するのですが、結局、王に脱走され、王族に攻められて翌年自殺してしまった。

老子曰、言有宗、事有君。夫唯無知、是以不吾知也。

これは、「老子」第七十章のコトバです。全文を引いてみないとわかりづらいと思います。引いてみましょう。

吾言甚易知、甚易行、天下莫能知、莫能行。言有宗、事有君。夫唯無知、是以不我知也。知我者希、則我貴矣。是以聖人被褐懐玉。

ここでは、老子の文章のうち、「コトバについても行動についても何もわかっていない」ということだけを単純に引用しているようです。

白公之謂也。

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「淮南子」道応訓より。お茶の名人はどこの水で煮た茶か当てるそうですから、易牙さんぐらいのことはできるでしょう。つまり、水を以て水に投じるぐらい外部にわからない秘密でも、聞き分ける人はいるのでしょう。話してないことでも「こんなことを話しておりましたぞ」と讒言できる人がいるくらいですからね。

「被褐懐玉」(褐を被て玉を懐く)。肝冷斎の服が見すぼらしく、しかも毎日一緒もの着て、しかも彼がつねに幸福そうにしているのは、彼が真理に近いところにいる、ということなのだ・・・いや、違うかも。単に服を持っていないだけかも。ちなみに「老子」のこの章は令和4年10月2日に昔の肝冷斎が解説しているみたいなんですが、どういう文脈で使ったのか、まったく思い出せない・・・はずです、当時の肝冷斎は二世、わたしはすでに三世で、一緒にされては困りますぞ。

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