共坐地食(共に地に坐して食う)(「奇聞類紀摘抄」)
やっと春になってきました。さくら開花はまだのようですが、明日ぐらいから花見客が出始めるかも知れません。

コロナが明けたとされる今年、昭和のような車座の花見があるのだろうか。経済的には知らんけど。
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明の半ば過ぎ、浙江・呉山の西に黄村という村がありまして、そこの匠者(大工さん)の王某が、ある晩、仕事を終えて帰るうちにまったくの夜になってしまった。
春先の生暖かい夜気の中を歩いていくと、
逢一人青衣白束腰、如隷卒状、問所之。
一人の青衣にして白く腰を束ねたる、隷卒の状の如きが、之くところを問うに逢う。
青い服を着て腰のところで白い帯を結んでいる、おそらくどこかの役所か大家の下僕と思われる男が一人歩いているのに出会った。その男、「どこに行くんですか」と訊いてきた。
「おまえさんこそ、どこに行くんだね」
と訊ねると、
欲至黄村。
黄村に至らんと欲す。
「黄村まで行こうと思っているんです」
というので、大工はたいへん喜んだ。
身亦却帰黄村、今相得為伴甚佳。
身もまた黄村に帰却せんとす、今、相得て伴と為せば甚だ佳ならん。
「おれも黄村まで帰ろうとしていたところだ。お前さんと連れになっていけば、コワいものは無いってことさ」
「そう・・・かも知れないですね」
偕行数里、卒指道傍民家謂匠曰君亦思酒食乎。吾能以彼取之。
偕行すること数里、卒、道傍の民家を指して匠に謂いて曰く、「君また酒食を思うか。吾よく彼を以てこれを取らん」と。
一緒に数キロ行ったところで、下僕は道端のとある民家を指さして大工に言った、「あなたはお酒とか食べ物とか欲しいと思いませんか。あの家からならなんとかもらって来れそうですが」と。
明代の一チャイナ里≒560メートルで計算しました。
大工は言った、
善。
善し。
「そりゃいいな」
すると、
卒入門、少選、携一鏇酒及一熟鶏来、共坐地上食之。
卒、門に入り、少選して、一鏇酒及び一熟鶏を携え来たり、共に地上に坐してこれを食う。
下僕は、門から入って行って、しばらく経つと、酒の入った湯沸かしと煮えたニワトリ一羽分を持って戻ってきた。二人は地面に座ってこれを飲み食いした。
「あそこの家とは知り合いなのかい」
「知らないわけではない、て関係でしょうか」
などと会話して意気投合した。
食べ終わって、下僕が大工に言うには、
君姑留此。我入此家、了公事也。
君しばらくここに留まれ。我、この家に入りて、公事を了せんとす。
「あなたはしばらくここで待っててください。わたしはこの家に入って用事を済ませてきますから」
そこで、大工は、
取鏇納著柴積中、立俟之。
鏇を取りて柴積の中に納著して、立ちてこれを俟つ。
湯沸かしを取って、畑に積まれていた柴の間に押し込むと、立ったまま男の出てくるのを待っていた。
しばらく待っていると、
俄見窓裏擲出一人手足束縛。
俄かに、窓裏より一人の手足を束縛されたるが擲出さる。
突然、家の窓から手足を縛られた人が放り出されてきた。
「え?」
継而卒自窓躍出、負之而去。其行如飛、便聞門内哭声。
継いで卒、窓より躍出し、これを負いて去る。その行くこと飛ぶが如く、すなわち門内に哭声を聞く。
その後からさっきの下僕が窓から飛び出してきて、縛られた人を背負うと逃げ出した。まるで飛ぶように行って、あっという間に闇の中に消えた。と、間も置かずに、家の中から泣き叫ぶ声が聞こえた。
「強盗だったのか!」
匠驚而奔回。
匠、驚いて奔回せり。
大工は、びっくりして踵を返して逃げた―――。
明日往験之、乃知其家主翁、昨夜死矣。
明日、往きてこれを験すに、すなわちその家の主翁、昨夜死せるを知る。
次の日、何食わぬ顔をしてその家まで行き、何があったか確認してみると、その家の主人の老人が、昨夜死んだということがわかった。
「強盗か何かが入ったのですか」
「いえいえ」
弔問帰りの近所の人にいうことでは、普通に家人たちに看取られて死んだのだという。
「安らかに亡くなったということですよ。御遺体に面会してきましたけど、きれいな死に顔でした」
「亡骸はあるのですか・・・」
「もちろんですよ。ただ、
昨祭五聖、失去酒鏇一鶏一。
昨、五聖を祭るに、酒鏇一と鶏一を失去す。
夕べはちょうど、お亡くなりになる直前、家で五聖神(と呼ばれる江南の土俗神)をお祀りしていたそうなのですが、お供えの湯沸かしに入ったお酒と煮たニワトリが無くなった。
と不思議がっていましたね」
「はあ」
匠者探柴積得鏇鶏骨。始悟其為冥卒也。
匠者、柴積を探るに鏇と鶏骨を得たり。始めてその冥卒たるを悟る。
大工が畑の柴を探してみたところ、確かに湯沸かしとニワトリの骨が出てきた。そこでようやく、昨日の男はあの世の使いであったことを知ったのである。
それにしても、なぜ「待っていろ」と言っていたのか、もし待っていたら、何が起こったのだろうか。大工はそれから何年もそのことを考えていたということである。
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明・施顕卿「奇聞類紀摘抄」巻四より。待っていたら、今よりはいいところに行けたのかも。知らんけど。