3月27日 いつの間にか夜の桜が咲いていました

賜以酒食(賜うに酒食を以てす)(「帰田録」)

しかし、夜桜の人たちはいませんでした。まだ平日だからでしょう。わたくしどもも、若いころは、飲み食いさせてくれると思って場所取りとか買い出しとか言うこと聴いたなあ。

「酒食足りて礼節を知る」とも申します。

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飲み食いさせることは大事です。
宋の初め、太祖皇帝(在位960~976)の時代、関南巡検使として対契丹の最前線に立った李漢超という名将がいた。

しかしながら李漢超は、

武人所為多不法、久之関南百姓詣闕、訟漢超。

「何を訴えてきているのだ?」

太祖皇帝が側近に訊ねると、

貸民銭不還及掠其女以為妾。

とのことだ。

「そんなことか・・・、それなら通せ」

「いや、しもじもにござりまする」

「いいから、通せ」

太祖召百姓入見便殿、賜以酒食、慰労之、徐問。

自漢超在関南、契丹入寇者幾。

自分で調べろ! ・・・とは誰も言いませんでした。
人民代表は答えた、

無也。

「そうか」

太祖は言った、

往時契丹入寇、辺将不能禦、河北之民歳遭劫虜。汝於此時、能保全其貨財婦女乎。

「いや・・・」

今、漢超所取孰与契丹之多。

民衆代表は首を振った。
「とてもとても」
「わしが漢超を呼び戻すと、またその時代に逆戻りじゃぞ」
「それは困り申す・・・」
というところへ、
「いやいや、お待ちくだされ」
民衆代表の中から異議申し立てがありました。続きは明日。

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宋・欧陽脩「帰田録」巻一より。弱小の民衆などひねり潰してやればいいんですよ、現代の〇本みたいに。そういうのは合意できそうだし。

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