賜以酒食(賜うに酒食を以てす)(「帰田録」)
しかし、夜桜の人たちはいませんでした。まだ平日だからでしょう。わたくしどもも、若いころは、飲み食いさせてくれると思って場所取りとか買い出しとか言うこと聴いたなあ。

「酒食足りて礼節を知る」とも申します。
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飲み食いさせることは大事です。
宋の初め、太祖皇帝(在位960~976)の時代、関南巡検使として対契丹の最前線に立った李漢超という名将がいた。
しかしながら李漢超は、
武人所為多不法、久之関南百姓詣闕、訟漢超。
武人にて為すところ多く不法、これを久しくして関南の百姓、詣闕して漢超を訟う。
武人だったので、やることは非道なことが多く、しばらくすると関南の人民代表が、開封の宮中まで、漢超のことを訴えにやってきた。
「何を訴えてきているのだ?」
太祖皇帝が側近に訊ねると、
貸民銭不還及掠其女以為妾。
民に銭を貸(たい)して還さざること、及び、その女を掠して以て妾と為すことなり。
「民衆から金を借りて(「国公債」みたいなものでしょうか)おいて返さない、ということでございます。また、娘を拉致されて、そのまま侍妾にされてしまったと訴えている者もございます」
とのことだ。
「そんなことか・・・、それなら通せ」
「いや、しもじもにござりまする」
「いいから、通せ」
太祖召百姓入見便殿、賜以酒食、慰労之、徐問。
太祖、百姓を召して便殿に入見せしめ、賜うに酒食を以てし、これを慰労して徐(おもむ)ろに問う。
太祖は、人民代表を「常の間」に入らせて謁見し、お酒と食い物を出して飲み食いさせ、「李漢超のことで大変らしいのう」と慰労してから、ゆったりと質問した。
自漢超在関南、契丹入寇者幾。
漢超の関南に在りてより、契丹の入寇する者幾ばくぞや。
「ところで、漢超が関南の巡検使になってから、契丹めは何回侵略してきおったかな?」
自分で調べろ! ・・・とは誰も言いませんでした。
人民代表は答えた、
無也。
無きなり。
「無いですだ」
「そうか」
太祖は言った、
往時契丹入寇、辺将不能禦、河北之民歳遭劫虜。汝於此時、能保全其貨財婦女乎。
往時、契丹の入寇するに、辺将禦能わず、河北の民、歳に劫虜に遭う。汝、この時において、能くその貨財・婦女を保全せるか。
「以前は、契丹が攻め込んでくると、辺境の武将らは防ぐことができなくて死んだり逃げたりした。このせいで、黄河以北の民衆は、毎年毎年えびすの略奪に遭っていたはずじゃ。おまえはそのころ、自分の財産や女房や娘を保護することができていたのか?」
「いや・・・」
今、漢超所取孰与契丹之多。
今、漢超の取るところ、契丹の多きと孰(いず)れぞや。
「現在、漢超が奪っていくとはいっても、契丹が奪って行ったものと比べれば。どちらが多いのじゃ?」
民衆代表は首を振った。
「とてもとても」
「わしが漢超を呼び戻すと、またその時代に逆戻りじゃぞ」
「それは困り申す・・・」
というところへ、
「いやいや、お待ちくだされ」
民衆代表の中から異議申し立てがありました。続きは明日。
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宋・欧陽脩「帰田録」巻一より。弱小の民衆などひねり潰してやればいいんですよ、現代の〇本みたいに。そういうのは合意できそうだし。