不識字漁父(字を識らざるの漁父)(「至正直記」)
ダメおやじだ。今回も、いいところに行くのに失敗。

今宵も、なんでこんなことになってしまうのか、の歌をうたおう。
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元のころ、「鸚鵡曲」という歌がありました。
儂家鸚鵡洲辺住、是箇不識字漁父。浪花中一葉扁舟、睡熟江南烟雨。
儂家(のうか)は鸚鵡洲辺に住む、是ぞ箇の、字を識らざるの漁父なり。浪花中の一葉の扁舟、睡熟す、江南の烟雨に。
「儂」は江南方言の一人称、「家」は「人」を指す助辞。
わては南京近くの鸚鵡洲(という中州)のほとりに住んでいる、一人の文字の読めない漁師おやじでんねん。
波の花散る小さな舟に揺られているうち、江南の春の霧雨の中で熟睡してもうた。
覚来満眼青山、抖擻緑蓑帰去。算従前錯怨天公、甚也有安排我処、
覚来すれば満眼の青山、緑蓑を抖擻(とうそう)して帰り去(ゆ)きぬ。従前の錯まりを算えて天公を怨む、甚だしきかな、我が処を安排する有りて・・・
「抖擻」(とうそう)は「ぶるぶる振るう」。
目が覚めたら周りはすべて青い山だったから、緑の蓑をぶるぶると振るって(雨水を落とし)て家に帰ってきましたんじゃ。しまった、間違っておりました、なんともまあ、わしの居場所をそこにおいてくださって・・・。
最後の方がよくわからなくなっています。(今日の言いたいことはここまで)
我壬寅留上京、有北京伶婦、御園秀之属、相従風雪中、恨此曲無続之者。
我、壬寅に上京に留まり、北京の伶婦、御園の秀の属有れば、風雪の中に相従うも、この曲のこれを続くる者無きを恨めり。
わたしは壬寅の年(元・至正二十二年(1362)に上京(現代の内モンゴル上都鎮。大元帝国の夏の都があった)に、冬になっても留まって、大都・北京の女芸人や歌手の優秀な人がいるというので、(冬の)吹雪の中も彼女らにつきあって暮らしていたが、とうとうこの歌の続きを知っているひとには会えなかった。
前後親炙士大夫、拘于韵度、如第一父字、便難下語。又、甚字必須去声字、我字必須上声字、音律始諧。不然不可歌、此一節又難下語也。
前後に親炙せる士大夫は、韵度に拘り、第一の「父」字の如きはすなわち下語し難しとす。また、「甚」字は必ず去声字を須(もち)うべく、「我」字は必ず上声字を須うべくして、音律始めて諧うとす。然らざれば歌うべからず、この一節また下語し難きなり、と。
その前後に親しくつきあった知識人のみなさんは、音韻のことにうるさくて、最初に出て来る「漁父」の「父」の字がおかしい、このままでは歌えない、と言う。それはそれとして、最後の行の「甚」は去声、「我」は上声に読まないと、音律がおかしくなってしまう。そうしないと歌えなくなって、一節まるまるどうやって歌うのかね、と言い出す始末だ。
そうしてみると、最後の行は
甚也有安排我処、
甚(いか)んぞ、我を安排する処有りや・・・
わしをどこに連れていってくださるのやら、・・・
ということになりましょうか。
「そんなところではないかなあ」
諸公挙酒索余和之、以汴、呉、上都、天京風景、試続之。
諸公、酒を挙げて余にこれに和するを策(もと)むるに、「汴、上都、天京の風景」を以て試みにこれに続けよ、と。
みなさん乾杯して、わたしに、その後にこう続けて歌ってみろ、と言うのだ。
汴(べん)、上都、天京の風景
汴(開封の町)や上都や天京(北京)の景色の中に。
と。
眠っているうちに、開封や上都や北京のような大都市に連れて行ってくれればよかったのに、という歌なのだ、というわけだが、それならがっかりである。
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元・孔斉「至正直語」巻二より。長々と引いてしまいましたが、わたくしはまたパソコンの前で居眠りしてしまい、起きたら深夜。しかも同じ場所にいた。あちら側の岸(フロリダとか)に運んでおいてくれたらよかったものを。

はやく来いにゃ。いいところにゃぞ。