無取於民者(民に取る無き者)
そんなひとがいるのでしょうか。新自由主義の時代に。

下層部が崩れると上層部も転がり落ちる・・・と思っていたんですが、上層部は上から押しつぶせば大丈夫だと思っているのではないか、とだんだん気づいてきました。
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紀元前11世紀ごろのことですが、太公望・呂尚が武王に申し上げました。
無取於民者、取民者也。無取民者、民利之。無取国者、国利之。無取天下者、天下利之。
民に取る無き者は、民を取る者なり。民を取る無き者は民これを利とす。国を取る無き者は国これを利とす。天下を取る無き者は天下これを利とす。
人民から奪っていかない方は人民の心を奪っていく方でございます。国民から奪っていかない方は国民の心を奪っていく方でございます。天下の民から奪っていかない方は、天下の民の心を奪っていく方でございます。
故道在不可見、事在不可聞、勝在不可知。微哉微哉。
故に道は見るべからざるに在り、事は聞くべからざるに在り、勝ちは知るべからざるに在り。微なるかな、微なるかな。
そういうわけですから、道はどこにあるか、見えないところにある。物事(の成否)はどこにあるか、聞こえないところにある。勝利(を得る方法)がどこにあるか、知覚できないところにあるのでございます。かすかなるかな、かすかなるかな。
さて、ご覧くださいませ。
鷙鳥将撃、卑飛斂翼。猛獣将搏、弭耳俯伏。
鷙鳥(しちょう)まさに撃たんとすれば、卑(ひく)く飛びて翼を斂(おさ)む。猛獣まさに搏(う)たんとすれば、耳を弭(た)れて俯伏す。
ワシのような猛禽類が、獲物を捕らえようとするときは、低く飛んで翼を閉じ(それから飛び出し)ていくではありませんか。虎のような猛獣が、獲物をぶん殴ろうとするときは、耳を垂れて地面に伏し(そこからとびかかっ)ていくではありませんか。
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これはいい言葉ですね。
されば、
聖人将動、必有愚色。
聖人まさに動かんとすれば、必ず愚色有り。
偉大なる人が天下に事あろうとするときは、必ず愚か者のように見えるものでございます。
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伝・呂尚「六韜」武韜篇より。でかいことする前はやる気ない感じを出すといいみたいです。やる気ない感じから何もしないことの方が多いとは思いますが。
ところで、去年からの一年で、金(ゴールド)の1オンス対円レートが9000円→15000円に、60%アップとのこと。この間に給料そんなに上がってないので、誰かが奪っている? 確信したときは「人柄からして意図的にそうしたとは思えなかった・・・」と言えばいいのかな。
なお、「六韜」は、実際は六朝期の本らしいので、引用書目では六朝のところに掲げておきます。