江山已定(江山すでに定まる)(「明語林」)
巧言令色鮮矣仁。
巧言令色、鮮(すくな)きかな、仁。
うまいこと言い、気に入られるような顔つきをする。そんな中に、目指すべき人間の在り方があるものか!
とは「論語」学而篇の美しい言葉でございます。
とはいえ、みなさん、うまいこと言って生きていると思います。そして、「まだまだだ、もっともっとうまいこと言って生きていくぞ」と思っていることでしょう。

鳳凰は来なくてもおいらたちは行くかもよ。
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明の太祖・洪武帝(在位1368~98)が天下統一に成功して、南京に帝都を定めたとき、
命周元素画江山于便殿壁間。
周元素に、便殿の壁間に江山を画くを命ず。
周元素という画師に、宮殿内の居室の壁画として、天下の川と山の画を描くよう命じたことがあった。
「光栄でござりまする」
絵を描くべき壁を目の前にして、周元素は言った。
陛下東征西伐、熟知険易。請規大勢、臣従中潤色之。
陛下東征西伐し、険易を熟知す。請う大勢を規せよ、臣、中よりこれを潤色せん。
陛下は東や西を征伐されました。天下の地勢の険阻・平板をよくご存じでございましょう。どうぞ天下の地勢の大体の枠取りをしてくだされ。やつがれめがその中を描きましょうほどに。
ふむ。
上即援毫、揮灑既畢。
上、即ち毫を援(ひ)きて、揮い灑ぐこと既に畢(おわ)る。
帝は、太い筆を手にして、ぐぐっと引っ張ってべしゃっと水を置いて、大枠を描き終えた。
こんなもんじゃ。
顧元素成之。
元素を顧みてこれを成させむ。
元素の方を振り向いて、「あとは完成させてくれ」と命じた。
すると、周元素は、
江山已定。臣無所措手矣。
江山すでに定まる。臣に手を措くの所無し。
「天下の川も山も定まりました。臣下のわれらが手を下すところはもはやござりませぬ」
と行って、やおら平伏した。
まわりの臣下もみなそれにつられて平伏した。
上笑頷之。
上、笑いてこれに頷けり。
帝はお笑いになって、うんうんと頷かれた。
この笑わせるところです。洪武帝ぐらい猜疑心の強い皇帝はなかなかいないのですが、その彼をして「しようがないやつやなあ」と苦笑させる、この技法。さすがは「明語林」の「言語」篇の劈頭を飾る稀代の巧言令色であります。
また、状元(科挙首席合格者)であった施槃が翰林院にあったとき、
宣宗問曰、呉下有何勝地。
宣宗問いて曰く、呉下に何の勝地有りや。
宣徳帝(在位1425~35)がお尋ねになった。
「おまえの出身地の会稽地方には、どんな名勝地があるのかな?」
施槃は答えて言った、
有四寺、四橋。
四寺、四橋有り。
「四つの寺、四つの橋がございます。これが呉の名勝でございます」
へー。
問其名、応声対。
その名を問うに、応声して対す。
「それぞれなんという名前なんじゃ?」とご質問があると、ご質問の終わった瞬間によどみなくお答えしはじめた。
四寺者、承天、万寿、永定、隆興。四橋者、鳳凰、来苑、吉利、太平。
四寺なるものは、承天、萬寿、永定、隆興。四橋なるものは、鳳凰、来苑、吉利、太平なり。
「四寺と申しますのは、承天寺、萬寿寺、永定寺、隆興寺。四橋と申しますのは、鳳凰橋、来苑橋、吉利橋、太平橋にございます」
耳で聞いただけでもシアワセになるような縁起のいい名前ですが、この八つの寺と橋の名前、漢文にして読むと、
天を承(つ)ぎて万寿、永く隆興を定む。
鳳凰苑に来たりて、吉にして太平を利せしめん。
(陛下は)天から降された皇統を継承され、これから一万年の長寿を全うされましょう。
(その証拠に、縁起のいい)鳳凰が庭園に下りてきて、太平の世をさらによくするという素晴らしい前兆を示しております。
となります。
さすがは状元郎、よく計算された回答であったのだ。
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「明語林」巻二「言語」より。やっぱり本場チャイナの「巧言」には敵いませんね。しかし、歴史は進歩しているはずなので、みなさん努力してもっとすごい巧言令色になってください。しゃもじ持って応援してるよー。