天下無比(天下に比する無し)(「西湖夢尋」)
「天下に比する無し」というのは、世界最高!!ということです。

吾輩はネコであるニャぜ。世界に冠たる王朝文学にも吾輩出てるの知ってるかニャ?
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今(清の時代)も蘇州の西湖の南岸に法相寺というお寺がありますのじゃが、
俗称長耳相。後唐時有僧法真、有異相。
俗に「長耳相」と称す。後唐の時に僧・法真有りて、異相有り。
一般民衆の間では「長耳の相(そう)でらさん」と呼ばれている。なぜというに、後唐(923~936に華北に存在した王朝。「五代」の一つ)のころ、法真さんという僧侶がいて、この僧侶が変わった顔をしていたのだ。
耳長九寸、上過于頂、下可結頤、号長耳和尚。
耳長九寸、上は頂を過ぎ、下は頤を結ぶべく、号して「長耳和尚」という。
耳の長さが27~28センチもあり、上端は頭頂の上に出ており、下の方は顎の下で両耳の端を結ぶことができた―――というのである。「長耳和尚さま」と呼ばれていた。
万国びっくりショーものですが、世界にこんな人がどれぐらいいるかわからないのですが、少なくともこの和尚が「天下無比」なのではありません。
同じころ、天成二年(927)、天台山国清寺の寒岩和尚が来錫した。たいへんな高僧だということで、呉越国(907~978江南に存在した王国。「十国」の一つ)王・銭鏐がたいへん厚くもてなし、同寺の住持とした。
ずっと後、宋の乾徳四年(966)、正月六日のこと、和尚は
無疾、坐方丈、集徒衆、沐浴、趺跏而逝。
疾無く、方丈に坐し、徒衆を集め、沐浴し趺跏して逝けり。
特段の病気も無く、居室に座って、弟子たちを集めて、風呂に入って座禅を組んだまま亡くなった。
ありがたいことです。
しかし、こんな高僧なのに、大地に戻してもらえませんでした。
弟子輩漆其真身、供仏龕、謂是常光仏後身。
弟子輩、その真身に漆し、仏龕に供えて、これを「常光仏」の後身なりと謂えり。
「常光仏」は「燃灯仏(ディーパンカラ)さま」の異訳で、常に肩から炎を出していた(というぐらいオーラが強く見えた、ということでしょうか)如来で、前世で修行中のお釈迦に「おまえさん、次に生まれて来る時は如来(ブッダ)として生まれ、その後はもう生まれ変わってこなくてよくなるよ」という予言(「授記」といいます)をしてくれたお師匠さん、です。
弟子たちは、寒岩和尚が亡くなると、そのなきがらを(火葬せず、)体にウルシを塗ってぴかぴかにした上で、仏壇に入れて、「この方はかつての常光仏さまのお生まれ代わりであられた」と宣伝したのであった。
弟子の教育を間違っていた・・・というべきでしょう。
婦女祈求子嗣者、懸幡設供無虚日。以此法相名著一時。
婦女、子嗣を祈求する者、幡を懸け供を設けて虚日無し。これを以て「法相」の名、一時に著らかなり。
跡継ぎを生んで何とか家庭内での地位を確立したい女たちは、しるしの旗を立て、供物を具えて、このピカピカさまに毎日毎日祈り求めた。このため、「法相寺」の名は当時大いに有名になったのである。
さて、そんな「剥き出し」の迷信利用しての広報活動から七百年ぐらい経過し、宋が滅び元が滅び、明も滅亡し、今や清の初めです。
寺後有錫杖泉、水盆活石。
寺の後に錫杖泉有り、水盆に石を活す。
「活石」はどんどん大きくなる石のことです。
寺の裏の方に「錫杖泉」という泉があり、その水を受ける岩のくぼみには、だんだん大きくなってくる石がある。
この水を使って精進料理を作ります。
僧厨香潔、斎供精良。寺前茭白笋、其嫩如玉、其香如蘭、入口甘芳、天下無比。
僧厨香潔にして斎供精良なり。寺前の茭白の笋、その嫩(どん)たること玉の如く、その香り蘭の如く、口に入れば甘く芳しく、天下に比する無し。
「茭」(こう)は「ほし草」や「セリの一種」を指しますが、粽(ちまき)を包む皮のことも言うようなので、タケノコの皮のことです。「笋」(じゅん)は「筍」の異体字で「たけのこ」。「嫩」(どん・のん)は「わかわかしい」。ここはタケノコがまだ若芽で柔らかいことを言うのでしょう。
お寺の台所はきれいで悪臭も無く、用意される精進料理はきめ細やかですばらしい。お寺の前に生える白い皮のタケノコは、玉のようにぶよぶよと柔らかく新鮮で、つんとした香りは蘭の匂いのようで、口に入れると甘みと芳香があり、まさに―――この世に比べられるものなどない。
「天下無比」なのはタケノコ料理でした。
然須在新秋八月、余時不能也。
然るに須らく新秋八月に在るべく、余時は能わざるなり。
しかし、秋の初めの旧暦八月にお寺に行くこと。その他の季節には、これは味わえない。
以上。
ついでに、明末の張京元「法相寺小記」を引用しておきます。(肝冷斎が付け加えて引用しているのではなく、原文が引用しているんです。肝冷斎は早く切り上げて寝たいのですが)
法相寺不甚麗、所香火駢集。常光禅師長耳遺蛻。
法相寺は甚だしくは麗ならざるも、香火の駢集するところなり。常光禅師の長耳の蛻を遺す。
法相寺はすごく豪壮華麗というわけではないが、(参拝者が多く)お香の火が次々と集まってくるところである。常光禅師さまの長い耳のミイラが遺されている。
実際には、常光禅師と称されるようになった寒岩和尚と長耳の法真和尚は別人だったのですが、民間信仰だからどんどん便利になっていきます。
婦人謁之、以為宜男、争摩頂腹、漆光可鑑。
婦人これに謁するを以て「宜男」と為し、争いて頂腹を摩して、漆光鑑すべし。
女たちはこの像にお目にかかると「男の子を生む効果がある」と考えて、争うようにその頭は腹を撫でさすって拝むので、ミイラ像に塗られたウルシの箔はぴかぴかに光り、顔を映すことさえできそうだ。
寺右数十武、度小橋、折而上、為錫杖泉。涓涓細流、雖大旱不竭。
寺の右数十武、小橋を度りて折れて登れば、錫杖泉と為す。涓涓たる細流、大旱といえども竭きず。
寺の右側の方、数十歩行って、小さな橋を渡って曲がって登る―――と錫杖泉である。ほそぼそとしたきれいな流れだが、どんな日照りにも涸れることがない。
経流処、僧置一砂缸、挹注供爨。久之水土融結、蒲生其上、厚幾数寸、竟不見缸質。因名蒲缸。
経流の処、僧、一砂缸を置き、挹注して爨(さん)に供う。これを久しくして水土融結し、蒲その上に生じて、厚さほとんど数寸、ついに缸の質を見ず。因りて「蒲缸」(ほこう)と名づく。
水の流れるところに僧侶たちは、素焼きの大きな甕を置いている。そこに溜まった水を汲みだして、料理に使っているのだ。もう長いことそうしているので、甕には泥が融けてくっつき、ガマの葉がその上に育って、厚さ数センチメートルにもなっているので、甕の地肌は見えない。それで、これを「ガマ甕」と呼ぶそうである。
倘可鏟置研池爐足、古董家不秦漢不道矣。
倘(もし)、研池・爐足を鏟し置くべくんば、古董家も秦漢ならずと道(い)わざらん。
もしも、硯石や金属製の炉の足などをそこに置いておき(地肌が見えないぐらいになってから)、表面を削ってみれば、骨董屋も「これは紀元前の秦や漢のモノでは・・・」と言い出すに違いない。
・・・これも結局、詐欺推奨なのではないか。
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清・張岱「西湖夢尋」巻四「西湖南路・法相寺」より。カネのためならなんでも利用する坊主丸儲けは怖ろしいですね。でも坊主丸儲けは西洋にもあるから「天下無比」ということはないのでしょう。
・・・と言っているうちに、もう明日は平日だ。