3月24日 マスコミがイメージ作って天下無比

天下無比(天下に比する無し)(「西湖夢尋」)

「天下に比する無し」というのは、世界最高!!ということです。

吾輩はネコであるニャぜ。世界に冠たる王朝文学にも吾輩出てるの知ってるかニャ?

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今(清の時代)も蘇州の西湖の南岸に法相寺というお寺がありますのじゃが、

俗称長耳相。後唐時有僧法真、有異相。

耳長九寸、上過于頂、下可結頤、号長耳和尚。

万国びっくりショーものですが、世界にこんな人がどれぐらいいるかわからないのですが、少なくともこの和尚が「天下無比」なのではありません。

同じころ、天成二年(927)、天台山国清寺の寒岩和尚が来錫した。たいへんな高僧だということで、呉越国(907~978江南に存在した王国。「十国」の一つ)王・銭鏐がたいへん厚くもてなし、同寺の住持とした。

ずっと後、宋の乾徳四年(966)、正月六日のこと、和尚は

無疾、坐方丈、集徒衆、沐浴、趺跏而逝。

ありがたいことです。

しかし、こんな高僧なのに、大地に戻してもらえませんでした。

弟子輩漆其真身、供仏龕、謂是常光仏後身。

「常光仏」は「燃灯仏(ディーパンカラ)さま」の異訳で、常に肩から炎を出していた(というぐらいオーラが強く見えた、ということでしょうか)如来で、前世で修行中のお釈迦に「おまえさん、次に生まれて来る時は如来(ブッダ)として生まれ、その後はもう生まれ変わってこなくてよくなるよ」という予言(「授記」といいます)をしてくれたお師匠さん、です。

弟子の教育を間違っていた・・・というべきでしょう。

婦女祈求子嗣者、懸幡設供無虚日。以此法相名著一時。

さて、そんな「剥き出し」の迷信利用しての広報活動から七百年ぐらい経過し、宋が滅び元が滅び、明も滅亡し、今や清の初めです。

寺後有錫杖泉、水盆活石。

「活石」はどんどん大きくなる石のことです。

この水を使って精進料理を作ります。

僧厨香潔、斎供精良。寺前茭白笋、其嫩如玉、其香如蘭、入口甘芳、天下無比。

「茭」(こう)は「ほし草」や「セリの一種」を指しますが、粽(ちまき)を包む皮のことも言うようなので、タケノコの皮のことです。「笋」(じゅん)は「筍」の異体字で「たけのこ」。「嫩」(どん・のん)は「わかわかしい」。ここはタケノコがまだ若芽で柔らかいことを言うのでしょう。

「天下無比」なのはタケノコ料理でした。

然須在新秋八月、余時不能也。

以上。

ついでに、明末の張京元「法相寺小記」を引用しておきます。(肝冷斎が付け加えて引用しているのではなく、原文が引用しているんです。肝冷斎は早く切り上げて寝たいのですが)

法相寺不甚麗、所香火駢集。常光禅師長耳遺蛻。

実際には、常光禅師と称されるようになった寒岩和尚と長耳の法真和尚は別人だったのですが、民間信仰だからどんどん便利になっていきます。

婦人謁之、以為宜男、争摩頂腹、漆光可鑑。

寺右数十武、度小橋、折而上、為錫杖泉。涓涓細流、雖大旱不竭。

経流処、僧置一砂缸、挹注供爨。久之水土融結、蒲生其上、厚幾数寸、竟不見缸質。因名蒲缸。

倘可鏟置研池爐足、古董家不秦漢不道矣。

・・・これも結局、詐欺推奨なのではないか。

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清・張岱「西湖夢尋」巻四「西湖南路・法相寺」より。カネのためならなんでも利用する坊主丸儲けは怖ろしいですね。でも坊主丸儲けは西洋にもあるから「天下無比」ということはないのでしょう。

・・・と言っているうちに、もう明日は平日だ。

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