3月22日 今日からはもう暑くなってきました

蓄書数千巻(蓄うるの書数千巻なり)(「澠水燕談録」)

次の世代が判断することなのかも知れません。

私は母方からの世襲の肥満ですが、「世襲でぬくぬくと太りおって、おかみのお覚えもいいのであろう・・・」などと思われているかも。

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北宋の陳亜は少卿(特別機関の次官)まで務めた官僚ですが、たいへんな文化人で、

蓄書数千巻、名画数十軸、平生之所宝者。

仕事ぶりも細やかで、人柄も柔らかだったから、特に彼を悪く言う人も無かった。

晩年退居華亭。双鶴唳怪石一株、尤奇峭。与異花数十本列植於所居。

「鶴唳」(かくれい。鶴の鳴き声)が石の題になるのはなぜか。

「晋書」陸機伝(列伝24)によれば、四世紀初め、西晋の陸機は讒言され死罪となる時に、

華亭鶴唳、不可復聞乎。

と嘆じてついに害せられた。史書にいう、この日、大風が吹き、平地にも雪が一尺積もったと。

・・・という故事にちなんだかっこいい石だったんでしょう。

こういう素晴らしいモノをたくさん集めた陳亜は、

為詩戒子孫。

曰く、

満室図書雑典墳、華亭仙客岱雲根。

「典墳」は、「三墳五典」の略で、古代に伝わっていた超古代の書物のことです。典故を当たり始めるとめんどくさいんですが、「春秋左氏伝」昭公十二年(前530)にいう、楚の霊王が宰相の子革に対して、左史の倚相のことをこう評した。

是良史也。子善視之。是能読三墳五典八索九丘。

と言う部分に出てきます。

これに対して子革は「いやいや、わたしもよく彼を知っていますが大したことありまへんで」みたいなことを言って、自分の方が知識人だ、と言い出すのです・・・が、今は閑話休題。

陳亜の詩に戻ります。「仙客」は鶴のことです。

他年若不和花売、便是吾家好子孫。

これが一族の集まる正堂に掲げられてたはずである。

ところが、

亜死未幾皆散落民間矣。

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宋・王闢之「澠水燕談録」巻九より。陳家は世襲失敗のようです。たいていのことは、ハラハラドキドキせずに、もう次の世代の判断に任せればいいや、好きにやってくだされ、という気分になってきました。なってきただけで、まだたくさん執着があるが。

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