不応久恋(久恋すべからず)(「籜廊琑記」)
いつまでもしがみついているのは、やはりよくないですね。

あちらで「待ってるよ」と言ってくれる人もいるかも。
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清の嘉慶十八年(1813)、河南・固始の町でのこと。
城関箱有業酤者某、毎傾酒銭、輒有紙灰糝雑、心頗訝之。
城関箱に業酤する者某有り、酒銭を傾くるごとに、すなわち紙灰糝雑する有りて、心に頗るこれを訝しむ。
城門に入ってすぐのところに酒を売るのを商売にしている某というひとがいた。毎晩、売り上げの銭を入れ物から出すとき、紙の灰らしきものが細切れになって混ざっているので、心の中でたいへん不思議に思っていた。
そこで、ある日、
置水一盎、令行酤者擲銭水中。
水を一盎に置き、行酤する者に銭を水中に擲げさせしむ。
お盆に水を張っておき、酒を買いつけて持ちかえる者に銭をその水の中に放り込むようにさせた。
是夕二更後、一急足擲銭、未没而紙灰上浮。
この夕、二更の後、一急足銭を擲ぐるに、いまだ没せざるに紙灰上浮せり。
「二更」は、日が暮れて一刻経った初更が八時ごろ、もう一刻経った午後十時過ぎのことです。「急足」は我が国でいう「飛脚」。
この晩、午後十時を過ぎたころ(もう深夜に近い)、飛脚が一人、(酒を取って)銭を投げたところ、この銭がまだ水中に沈まないうちに、紙の灰になって水面に広がった。
「おまえさんかい」
某猝捕之、曰、爾操何妖術、幻紙作銭、累詐吾酒。今既相値、莫能釈也。
某、猝(にわか)にこれを捕らえ、曰く、「爾、何の妖術を操りて、紙を幻じて銭を作り、吾が酒を累詐するや。今既に相値(あ)えば、よく釈するなきなり」と。
酒屋の某はその飛脚をただちに捕まえて、言った。
「おまえさん、どういう魔法を使って、紙をまぼろしの銭に替えて、わしの店の酒を長い間詐取してきたのか。今こそここに出会った以上、許すことはないぞ」
「申し訳ねえぜ」
飛脚はぺこぺこと謝罪した。
勿見執、実相告語。我非人、乃鬼胥耳。
執らるなかれ、実相にて告語せん。我は人に非ず、すなわち鬼胥なり。
「いてて、捕まえねえでくだせえ。本当のことを話しやす。あっしは人間ではございません、幽霊の下っ端なのです。
此地不出三年、当有大難。冥吏輩群造档冊、故遣令酤以消清夜。
この地、三年を出でずして、まさに大難有るべし。冥吏輩群じて档冊を造る、故に(酒を)酤いて以て清夜を消させしむるなり。
この地では、三年以内にどえらい難儀が起こりますぜ。あの世のお役人たちはみんなで、(生きた人間の運命を記した)処分案の冊子を作っています。(持ち運ぶ文書はなかなか出来やしない。)それで、あっしは酒を買って一晩いい夜を過ごそう、としていたわけでさあ。
今蹤跡既為識破、不可再来。但爾亦不応久恋此土、徙遭鋒鏑以歴劫運。即語、以代償酒債矣。
今、蹤跡既に識破さるれば、再来すべからず。ただ、爾もまた久しくはこの土に恋すべからず、鋒鏑に遭いて以て劫運を歴るを徙せ。即ち語りて、以て酒債の代償とす、と。
今はとうとうだんなに正体を見破られてしまった。もう二度と来ることはできません。ただ、だんなの方も、あんまり長くこの土地に未練を持たない方がよろしゅうございまっせ。どこかに移動して、ほこさきや矢じりに出くわして、仏教では一劫という長い期間が終わる時、世界が滅亡すると言われますが、そのような大災難に遭わないようにすることでっせ。
以上、申し上げて、溜まった酒代の代わりとさせていただきやす」
「待て・・・」
言已而逝。
言已りて逝けり。
話し終えると、あの世の飛脚は消え失せてしまった。
某明日遍告戚隣、咸謂清平世界何妄作鬼語、無肯信者。
某、明日戚隣に遍告するも、みな、「清平の世界に何ぞ鬼語を妄作すや」と謂いて、あえて信ずる者無し。
某は翌日から、親戚やご近所に分け隔てなく冥途の飛脚の予言を告げた。だが、みなさん、「こんな心地よく平和な世界にどうしてそんなあの世のコトバなんか言い触らすのよ!」と言って、信じようとしてくれなかった。
さて、
未幾、牛亮臣等拠邑以反、雖旋就撲滅、而官兵賊匪屠戮靡遺。独某以鬼語遠徙、幸獲無恙。
いまだ幾ばくならずして、牛亮臣等邑に拠りて以て反し、旋ちに撲滅に就くといえども、官兵・賊匪屠戮して遺す靡(な)し。独り某は鬼語を以て遠徙し、幸いに恙無きを獲たり。
その後、そんなに時が経たないうちに、牛亮臣らがこの城街に拠って反乱を起こした。その反乱はただちに撲滅されたが、それで終わりではなく、官軍の兵士、群盗がかわるがわるに占領して、士民を虐殺して一人も生き残らなかった。ただ、某は、幽霊飛脚のコトバを信じて遠くに出かけており、幸いに無事であった、ということである。
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清・王守毅「籜廊琑記」巻五より。さりげなく、「官兵屠戮して遺す靡(な)し」とあるのが絶望感を醸し出してますね。いつまでもこんなところで恋々としていてはいけません。そのとおりじゃ。よーし、明日去ります。