松作正人(松を正人と作す)(「酔古堂剣掃」)
時々はこんなのも読まんと目は爛れるし、聞かないと耳腐ってくるんで。

ごはんにはふりかけ、羊羹には栗、ハスの花には蓮根が無ければならん。
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高士豈尽無染。蓮為君子、亦自出于淤泥。
高士はあに尽く染まる無きや。蓮を君子と為すは、また自ずから淤泥(おでい)より出づればなり。
高尚なひとがみなことごとく何ものにも汚されないでいるわけではない。(少々は汚れていてもいいのである。宋の周濂渓先生が)蓮の花を「花の中の君子」と言ったのは、それが泥の中から出て来たからである。(泥から出てきているのに汚れていないから、尊敬すべき君子なのだ。)
丈夫但論持操。松作正人、何妨犯以霜雪。
丈夫はただ操を持するを論ず。松を正人と作せば、何ぞ妨げん、霜雪を以て犯すことを。
一筋通った立派な人は、何にも増して正義を貫くことを大切にする。松を「正しい人」と評する以上、霜や雪が覆い尽くすようなことがあっても、それを止めようとする人はいないだろう。(霜や雪の下でも、緑の葉の色を変えないのは、困難の中でも正義を貫いているのと同じである。)
「長い。一行でまとめて報告して」
え? これでも長い?
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明・陸湘客「酔古堂剣掃」巻十二より。要約すると、
蓮を君子と為し、松を正人と作す。
ということでしょう。いい言葉ではありませんか。みなさんもそんなふうに生きて・・・と思いましたが、聴く耳持たないかも知れないので止めておきます。また今度、みなさんに余裕があるときにニャ!