尽力労身(力を尽くし身を労(つから)す)(「韓非子」)
楽ちんなシゴトは得意だな、と批判されたのももう昔になりました。今は得意なもの特に無し。

それこそ帝王の術じゃ!かもしれんぞよホトトギス
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造父(ぞうほ)はいにしえの善く馬を御する者、です。御者の名人であった。
初夏のある日のこと、
造父方耨時、有子父乗車過者。
造父の耨(くさぎ)る時に方(あた)りて、子父の車に乗りて過ぐる者有り。
造父が(飼い葉にするための)草を刈っていたとき、父と子が乗って通り過ぎる馬車があった。
造父の目の前を通り過ぎた直後、
馬驚不行。
馬驚きて行かず。
ウマが何かに驚いて進まなくなってしまった。
おやじと息子でウマをなだめたりどやしたりしていたが、どうにも動かないので、とうとう二人とも馬車を下りて、
其子牽馬、父子推車、請造父助我推車。
その子、馬を牽き、父子、車を推し、造父に我を助けて車を推さんことを請う。
子どもの方がウマの手綱を引き、おやじの方は車を後ろから押して進めようとし、畑の中の造父を見つけて、
「おい、そこのお方。この車を押すのを手伝ってくださらんか」
と依頼してきた。
「子父」と言ったときは「子ども」と「父」でしたが、「父子」は「父と子」ではなく、子は別にした上で「父」に敬称「子」をつけているようです。
「はあ」
造父因収器、輟而寄載之、援其子乗。
造父、因りて器を収め、輟(や)めてこれを寄載し、その子を援けて乗ぜしむ。
造父はそこで草刈りの鎌をしまい込み、(草を束ねて)作業を止めて、馬車の方に寄って行くと、荷物をそれに乗せ、(おやじを押し上げて車に載せ、)また、子どもの方も引っ張って車に載せた。
そして、自分は御者台に座ると、
始検轡。
始めて轡を検す。
おもむろにくつわを調べた。
「ああそうか、そうか。これはびっくりしただろうな、よしよし直してやったから、もう大丈夫だぞ」
と、くつわの紐を何やらいじってもう一度咥えさせると、
持筴未之用也、馬騖。
筴(さく)を持するもいまだこれを用いざるに、馬騖(は)す。
竹の杖(鞭にするのである)を手に持っていたが、これを少しも使わずに、ウマは駆け出し始めた。
おやじと子どもは何が起こったかわからず、車の中で茫然としていた。
造父はまず自分の村に寄って家に荷物を降ろすと、ウマのお尻を叩いて、おやじたちの村に帰らせたのであった。
さあて、みなさん。
使造父而不能御、雖尽力労身、助之推車、馬猶不肯行也。今使身佚且寄載有徳於人者、術而御之也。
造父をして御する能わざれば、力を尽くし身を労(つから)しむるとも、これを助けて車を推し、馬なお行くを肯じざるなり。今、身をして佚らしめ、かつ寄載して人に徳有るものは、術してこれを御するなり。
造父が御者として有能で無ければ、どんなに力を尽くし身を疲れさせても、親子を助けて車を押すのが精いっぱいで、ウマは一歩も動かなかったであろう。ところが、彼が身は何にも疲れずに楽をして、しかも荷物を載せてもらい、おまけに他人から感謝されたのは、彼が御者の術を持っていたからである。
一般化しますと、
国者君之車也。勢者君之馬也。有術以御之身雖処佚楽之地、又致帝王之功也。
国なるものは君の車なり。勢なるものは君の馬なり。術有りて以てこれを御すれば身は佚楽の地に処(お)るといえども、また帝王の功を致すなり。
国というのは、君主にとっては車である。権力というのは、君主のウマである。ウマを操るしかるべき方法を以て操るなら、自分は楽ちんな状態でいるのに、帝王として君臨することができるのだ。
術を学びましょう。
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「韓非子」外儲説右下篇より。「帝王の術」のおかげで帝王もおやじも子どももシアワセになれたようですが、おそらく我らはこの場合、ウマ、あるいは車、あるいは草刈りの鎌ぐらいの存在なので、「帝王の術」に全く興味が湧いてこないんです。
「まあ、おれたちはハー〇ード経営大学院で学んだから不要だけどな」
「おほほ、肝冷斎、こういうことを勉強して自己啓発セミナーで講義するつもりだったかも知れないけど、おあいにくさま、もう東洋のむかしのは要らないの」
「新自由主義の時代によくこんな話を人前で出来るものだ・・・とはいえ、肝冷斎も何とか今の自分を乗り越えて前に進もうとはしたんだ、単なる負け組では無かったんだな。だが新自由主義の評価は結果だけだけどな」
「あはははは」「いひひひひ」「おほほほほ」
とまた嘲笑だ。なんなのだ、おまえたちは。