噤不敢問(噤んで敢えて問わず)(「清朝野史大観」)
お彼岸ですが、お墓詣りに行かないだけでなく、おはぎも食べないとは、わしは欧米文化にかぶれた進歩派なのかも。

違うんです!春のお彼岸が「ぼたもち(牡丹餅)」で、秋が「おはぎ(萩餅)」なんです。したがって今日食べるのは「おはぎ」ではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
清末に活躍した郭嵩燾(かく・すうとう)は、同治年間に
奉使泰西、頗知彼中風土。以新学家自命。
泰西に奉使し、頗る彼の中の風土を知れり。新学家を以て自命す。
命を受けてヨーロッパに使いしたことがあり、あちらの風習や様子をよく知っていた。このため、新しい学問を行う進歩派を自認していたのである。
その彼が、
還朝後、縁事請暇、返湘中原籍。
還朝の後、事に縁りて請暇し、湘中の原籍に返る。
ヨーロッパから帰国した後、用事があって休暇を取り、湖南の郷里に帰ったことがあった。
無事海外から帰って来れたので、「展墓」(お墓参り)に出かけたのでしょう。
時、内河輪船猶未通行、郭乗小輪回湘。
時に、内河の輪船はなおいまだ通行せず、郭、小輪に乗じて回湘す。
この時期は、まだ長江の外輪船航路はまだ就航していなかったから、郭は小型の外輪蒸気船を借りて、湖南に帰ったのである。
ところが、
湘人見而大譁。
湘人見て大いに譁(さわ)ぐ。
湖南のひとびとは、外輪船を見て大騒ぎになってしまった。
口々に、
郭沾染洋人習気。
郭、洋人の習気に沾染せり。
「郭のやつは、もう昔のあいつではないのだ」「欧米人の風習や習俗にかぶれてしまったのだ」「あいつの体には、欧米の気がしみついてしまっているのだ」
と唱え、
大集明倫堂、声罪致討、並焚其輪。
明倫堂に大集して、声罪して討に到り、並びにその輪を焚かんとす。
町の学校である「明倫堂」に大人数で集まって、声をあげて郭の(西洋かぶれの)罪を攻撃して、討伐することを決め、さらに外輪船の外輪を焼きに来た。
さすがの進歩の郭も、昔の知り合いや友人たちが大挙して火をつけにきたのを見て、
噤不敢問。
噤みて敢えて問わず。
口をつぐんで、あえて何ごとかとも問わなかった。
民衆の力の前には、欧米帰りの新知識も役に立たないのだ。危険なので、所用も果たさずにほうほうの体で上海にひきあげてしまったのである。
観此可見当時内地風気未開之怪象也。
これを観るに、当時の内地の風気いまだ開けざるの怪象を見るべし。
このことを見れば、当時(19世紀末)のチャイナ内部の風俗や気分がまだ未開で異常な状態であったことがわかるであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「清朝野史大観」清人逸事巻七より。墓参りもせずに逃げ帰るとは、どういうことか、西洋かぶれも甚だしい。それに引き換え、おれたち人民はいつも純粋です。カロリーオーバーを気にして食べてなかった牡丹餅も明日食うことにします。あんまり軽視していると、おれたちもそろそろバクハツするかも知れませんよ、うっしっし。
こんなところに肝冷斎が出現しています。下らんことが「気になりませんか」と言ってますが、みんな生活したりメジャーリーグ見たりで忙しいからそんなこと気にしてませんよ。ちなみに、「雄大」の対語は「些小」ではないかという気がしていますが、説明しないといけないことが多そうだし、現代語の語感も違うし言わない方がいいですよね。