愧此馬多(この馬に愧ずること多し)(「棲霞閣野乗」)
これまでは「あの人、寒いのに服無いのかしら」と言われて恥ずかしいので心配でしたが、もう春が来ましたから、布袋さんのようなかっこうしてても、何も恥じることはなくなってきました。今日はこんなに暖かかったんだから、まさかもう寒の戻りなんか無いでしょう。

ニンゲンは毛が無いから寒さに弱いでひん。布袋さんのように強くなってもらいたいものでひん。
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道光辛丑年(1841)というので、鴉片戦争のごたごたの時のことですが、
広州。都督陳建升戦死。英兵寇
英兵、広州に寇す。都督・陳建升戦死せり。
イギリス軍は広州にも侵略してきた。守備隊を指揮していた陳建升は、この時の戦いで戦死した。
坐下馬為英軍所得。
坐下の馬、英軍の得るところと為る。
騎っていたウマはイギリス軍に捕獲された。
だが、ウマは、
飼之不食、棄之、悲鳴而死。
これを飼うも食らわず、これを棄つるに、悲鳴して死せり。
イギリス軍からエサをもらっても食おうとしなかった。死にかけてきたので捨てられると、一声悲し気に鳴いて、死んだ。
三水の住人・欧陽双南が「義馬の行(うた)」を作って曰く、
有馬有馬、公忠馬忠、公心唯国、馬心唯公、公殲群醜、馬助公闘、群醜傷公、馬駄公走・・・。
馬有り馬有り、公忠馬も忠、公の心ただ国、馬の心はただ公、公群醜を殲(ころ)すに、馬公の闘いを助け、群醜公を傷つくるに、馬公を駄して走り、・・・云云。
ウマがいるぞウマがいる、ご主人も忠義、ウマも忠義、ご主人はただ国のために、ウマはただご主人のために、ご主人が群つどうきたない異民族(イギリス人です)を殺しまくった時、ウマは御主人の闘いをお助けしたが、群れ集うきたない異民族がご主人さまを傷つけると、ウマは傷ついたご主人を載せて走り続けた・・・。
めんどくさくなってきたのでここで切ります。
そういうわけで、ご主人もウマも死んでしまったのですが、
今之人靦然衣冠、而甘為紫髯碧眼之奴隷者、愧此馬多矣。
今の人は靦然(てんぜん)たる衣冠、甘んじて紫髯碧眼の奴隷と為る者は、この馬に愧じること多きかな。
「靦」(てん)は「あつかましい」の意。
現代(清の終り)の人で、あつかましくも知識人の着るかっこいい服をつけていながら、甘んじてムラサキのひげ、あおい目玉の夷人どもの奴隷となっている者たちは、このウマに対して恥じ入ることが多くあるのではなかろうか。
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清・孫静安「棲霞閣野乗」巻上より。むかしは外国の人に媚びへつらってはいけなかったのです。昔のひとは、インバウンドで来てくれなくなったらどうするつもりだったんでしょうか。フィンランドの人はどうかな?